2017年11月7日火曜日

 国際交流 ボランティア 多くの日本語に勉学者たち 

大森和夫・弘子(国際交流研究所)編著「『日本』って、どんな国?」日本僑報社

  内外で日本語を勉強している学生・社会人などの、「日本語作文コンクール」世界大会での、優秀作品を集めた書です。まず、こうした日本語教育に情熱を傾けておられる大森ご夫妻(国際交流研究所)に敬意を賛意を表します。
  日本語を勉強しているくらいですから、日本に好意的であることはその通りです。でも、中にはしっかりと日本を観ている人もいます。ボランティアながら、同じく日本語教室で日本語を母語としていない人たちに接していると、こうした書はとても参考になります。
  日本の学校では、英語英語と草木もなびくような空気ですが、今では300万人以上ものひとが日本語を勉強し日本に興味を持っています。日本に観光でお見えになる外国人も大幅に増えました。
  素敵な日本語の作文を通して、日本を見直すこともいいかなと思います。
 

2017年10月14日土曜日

来年の明治150年を考える 戦前80年 戦後70年 隔たり

須田努著「吉田松陰の時代」岩波書店

  安倍政権は、来年の明治150年を大々的に行事をやるようです。「実現された近代化政策として、立憲政治、議会政治に導入、国際社会への対応、技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立など女性を含めた教育に充実等々・・・」が揚げられ、これらを達成した「明治の若者や女性、外国人などの活躍を改めて評価」し。明治期の文化活動にもふれ、「日本の強みを再認識し、今後の更なる発展を目指すきっかけとなる」政策を推進するとある。そうです。(ホームページ 首相官邸 会議等)

  これは歴史認識に問題である。内線の中から明治と言う時代が生まれ、対外戦争は繰り返され、経済格差は拡大され、琉球・沖縄を「植民なき植民地」であったと著者は述べています。この行事には、これらの事実が語ろうとしていない。

  この書は、松陰の足跡や資料を丁寧にたどり、松陰をして「おっちょこちょい」な青年、思想家・革命家と「上書きされた」人と捉え、彼を「時勢の人」と見る。

  西郷隆盛が主張したとされる所謂「征韓論」も、この吉田松陰の「挑戦侵攻論」など、即ち「富国強兵」論があった。と記しています。

  時の、為政者が自分の「都合のいいとこ取り」をします。安倍政権の明治150年の行事はまさにその感があります。

2017年10月9日月曜日

2017 総選挙 日本人に政党支持 永田町と一般人の意識の乖離

明日、総選挙が公示されます。選挙戦は既に佳境にはいいています。公職選挙法が複雑怪奇なために、日本の選挙の在り方は歪んでいますが、それでも選挙は民主主義に根幹です。棄権が一番この国を危険にします。棄権しないように呼び掛けるのは、個人でもできます。せめて、身内からは棄権者を出さないことです。

政党支持を分類すると;
*「消極派」政治的に知識や関与が多く、選挙ごとに政策中心で投票先を選ぶ人・・・・・・・・・・25%
*「忠誠派」政治的に知識や関心が多いが、支持政党はずっと変えない・・・・・・・・・・・・・・38%
*「無党派」政治知識はそれほどなく、少ない情報で投票するが、棄権も多い人・・・・・・・・・・22%
*「委任派」政治知識はあまりないが、保守的傾向があり、縁故による動員対象になりやすい人・・・15%

これは、30年前の三宅一郎政治学者の分析(9月28日付け朝日新聞「論壇時」小熊英二歴史社会学者の執筆より引用

30年前と違うのは、固定票に減少→無党派層の増大です。
労組加入率 1986年11%~2014年6%
町内会自治会加入率  1986年70%~2014年20%

今の有権者は三つの対立軸を持っている(遠藤晶久)
①自衛隊・安全保障
②女性の社会進出・外国人労働者などの社会的価値観
③「小さな政府」や自国優先主義の様な新保守主義
これらへの賛否が問われるとのことです。
①の自衛隊・安全保障に関する対立は弱まっている?との指摘もあります。

小熊氏は「いずれも言うは易く実行は難しい。だが、現状では、21世紀の社会に、20世紀の政治が追い付いていない。今問われているには「合意に技術」としての政治が、21世紀に生き残れるか否かである。と結んでいます。


2017年10月3日火曜日

2017総選挙 リベラルと保守

「リベラルと保守」とは一体なんだろうか?

  枝野新党の党名が「立憲民主党」となり、「安倍自民党」と「希望の党」の保守対保守の対決にリベラル新党が加わり、三極構造になってきました。
  ところで、一体「リベラル」と「保守」とは?片や英語、一方は日本語です。分かっているようで、分からないのがこれらの言葉ではないでしょうか?
「保守」: 時代の新しい風潮などに応じることを拒み、旧来の考え方や伝統的なやり方を守り通そうとすること。
「リベラル」:新明解辞典には記述がありませんでした。

  こうした概念は、西欧の政治システム導入の訳語でしょうから、英英辞典を調べてみました。(ロングマン現代英英辞典より)
 "liberal ": 1.willing to understand & respect the ideas & feelings of others
                   2.supporting or allowing some change
                   3.encouraging or leading to a wide general to a wide general knowledge wide possibilities for self-expression and respect for other people's opinion
                  4.giving freely and generously
                  5.given freely, large 
                  6.neither close nor very exact

"conservatism": 1.dislike of change,esp. sudden change
                           2.(political)order of society should be kept as it is for as long as possible and that any change should be gradual

リベラルは、どうやら他人を尊重し理解する、変化(改革)を認める、自由などなど、かなり広範な個人の自由を認めることがあるようです。

一方、保守は、新明解辞典の内容と然程変わらないようですが、しかし、変化(改革)はgradual=漸次、穏やかに、徐々に、 とあります。日本語の辞書だけでは、保守の意味の大切な所が抜けていますね。

こうしてみると、リベラルをズバリと表す日本語がない?ということでしょうか。明治時代の人たちならどう訳すのでしょうか?と想ったりします。


  



2017年9月20日水曜日

立憲主義の崩壊 言論弾圧 天皇機関説と国体明徴 政治と宗教

山崎雅弘著「天皇機関説」事件 集英社新書
赤江達也著「矢内原忠雄」戦争と知識人の使命 岩波新書

  両書とも、日本を代表する学者が、言論弾圧を受けた時代に関する書です。
天皇機関説事件では、『天皇を神格化する政治家と右翼組織が結びつき、この事件が起こった。この学説を主張する憲法学者美濃部達吉は、弾圧を受けた後『国策としての国家主義は、その最も極端なかたちにおいては、国家を単に戦闘団体としてのみ観察し、国防すなわち国家の戦闘力を強くすることが、国家の唯一の目的として、国家のすべての編制および活動をして、ひとえにこの目的を達するための手段西用としているところにある』と言っています。
  矢内原事件では、天皇=現人神を奉じる「神の国」とキリスト教の絶対神を基礎とする「神の国」が対立関係であり、「神」の概念をめぐって対立している。無教会主義の内村鑑三に師事した、矢内原の考えはキリスト教の預言者的ナショナリズムによる国体論的ナショナリズム批判と。

  いずれも、国家権力により為政者(軍部・右翼など)にとって都合の悪い思想と、弾圧されていった。

2017年8月25日金曜日

ヴァイツゼッカー大統領 ドイツ ナチ 市民 

「折々のことば」鷲田清一(朝日新聞8/23付け)より

  「悪」を名指しすること・・・ではなく、われわれをつなぎ合わせる代わりに引き離し、ぶつけ合う「弱さ」がもんだいなのです。        ヴァイツゼッカー
  ナチスへの抵抗を呼びかけたミュンヘン大学生のグループ「白バラ」が封殺されてから50年後、当時のドイツ大統領は同大学でこう訴えた。
  市民は「私生活に籠り」、文化人は「空論に傾斜する」。みなが「政治にうんざり」4となり。連帯の糸が切断されている。社会のその脆弱さを克服せねばと。演説集「言葉の力」


アジア主義 帝国主義 王道 覇道 東洋と西洋

中島岳志著「アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾まで」潮文庫

  文庫本としては600ページを超える分厚い本です。戦後侵略主義として否定された「アジア主義」。しかしそこには本来、「アジアの連帯」や「近代の超克」といった思想が込められていたはずだ。アジア主義がどこで変節したのか。

  明治の「脱亜入欧」まっしぐらの日本が、やがて帝国主義に変貌して、結局無謀な戦争の結果1945年8月15日の敗戦を迎える。ここに至るまでの過程が分かる書です。


2017年8月17日木曜日

日本と朝鮮半島の歴史 柳宗悦(民藝学者)植民地政策 ①

韓国併合に抗議し続けた柳宗悦
「我々日本人が今朝鮮人の立場にゐると仮定してみたい。恐らく義憤好きな吾々日本人こそ最も多く暴動を企てる仲間であらう」(三・一独立運動について、日本の帝国主義を批判)
さらに、「日本にとっての兄弟である朝鮮は日本の奴隷であってはならぬ。それは朝鮮も不名誉であるよりも、日本にとっての恥辱の恥辱である。(中略)私は虐げられる人々よりも虐げる人々のほうが、より死の終わりに近いと思う。前者に対しては人間の味方が立ち上がるだらうが、校舎には必ずや自然の刑罰が加へられる。(中島岳志著「アジア主義」西郷隆盛から石原莞爾まで)潮文庫より

日本とアジア主義 多様性 柳宗悦 ②

柳宗悦が26歳の時、バーナード・リーチに書いた手紙:
 「真実、神、我々の故郷、われわれのエルサレムは、この現世の生活の中でわれわれが戻っていてゆき、そこに向かって巡礼するところですが、その故郷への道は、個人の気質(性格・内的原因)とその環境(外的原因)によってかなり異なります。明らかに、ここには我々が考えるべき二つの点があります。一つは、我々が登ろうと目指している頂きは普遍的な「一つ」のもだということ、もう一点は、その頂きに至る道程は「多数」であるといことです。
 山の頂は一つです。しかし、頂上に至る道は複数存在します。ある人は東側からのぼり、ある人は西側からのぼります。急斜面をのぼる人もいれば、回り道をしながらゆっくりのぼる人もいます。しかし、最後は同じ頂上にたどり着きます。
 柳は「真理」と「宗教」の関係を、山登りたとえました。真理は普遍的に一つです。しかし、真理に至る道は複数存在します。この道の違いが宗教の違いであって、真理の違いではないのです。-キリスト教の道もあれば、仏教の道もある。イスラームの道も、ヒンドゥーの道もある。しかし、最後は唯一の真理にたどり着く。

  岡倉天心の「不二一元論」と同じで、多一的認識こそ「アジアは一つ」の根拠だお言い「多即一、一即多」の原理を「東洋の理想」の土台に据えました。中島岳志著「アジア主義」より

2017年8月6日日曜日

日本の近代化 明治維新 司馬遼太郎 明治150年の今を考える

磯田道史著「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史」NHK出版

三谷太一郎著「日本の近代とは何であったか」岩波新書


  磯田氏は、「司馬遼太郎は明治を「理想」と考え、明治と昭和が完全に断絶されている。と思っていたのは違う。社会の病というのは、現実の病気と似て潜伏期間があり、昭和に入ってとんでもない戦争に突入してしまう菌や病根は、やはり明治に生じていたのではないか。明治と言う時代は、まだそれが発症していない「幸せな潜伏期間」だったのではないか。」と言っています。ナショナリズムとパトリトティズムという比較も。

  三谷氏は、大学での長年の研究ののち、「・・日本の近代について総論的なことを書くこと、そしてそのために日本近代化の概念的把握を試みることの重要性を知りました。(中略)カントによれば、人間の意識はすべて直観をもって始まり、直観から概念にいたり、理念をもって終わります。(中略)その理念の先に、理念によってのみ規定される理想があります。云々」とあとがきで述べておられます。


2017年7月25日火曜日

マスコミ ネット社会 世論と輿論の違い

『戦時動員された与論、すなわち「ヨロンと読まれる世論」を、いかにして討議可能な輿論に復員するか』佐藤卓己

 輿論と世論(ヨロンとセロン)がよくごちゃごちゃにされる。輿論はパブリック・オピニオン。人々の討議を経て形成される市民の意見で、世論はポピュラー・センチメツ、つまり大衆の間に醸しだされる感情。世間の気分を映しだす「世論調査」が輿論へとすり替わっていないかと、メディア史研究家は問い、輿論の復権を説く。「輿論と世論」から
鷲田 清一の「折々のことば」より(朝日新聞 7/20付)

 ヘイトスピーチ、罵詈雑言、意見の多様性を認めないネトウヨ、それにも増して、余りにも信用できない政治家の発言などなど、この世は不信をばらまくのに不都合のないほど通信がこれでもかと発達してきている。勿論、反対に上手に使えばこれほど便利なもんはないほどまでに発達している。

こうした中、世論調査なるものが幅を利かせている現在です。支持率何%の一喜一憂している政治家集団。しかもそれが全てであって、それも次の選挙に有利か不利かの判断材料にしか使わない。確かに、全体の空気、感情も大切です。それが大多数なんですから。

 国会について言えば、とても熟議の場とは程遠く、安倍政権の閣僚及び各省の官僚の答弁のはぐらかしには辟易とされている。こうした低レベルの国会のあり方を正すためにも「輿論」の場として、こうしたネット社会が上手く機能することは大切なことだと思います。それが政治を司る人たちへのプレッシャーになるはずと思います。

 戦前、東洋経済の石橋湛山も同じ様に、輿論と世論の違いを述べています。戦後70年を過ぎても、未だに輿論が成熟できていない。悲しいことです。国民にとっていい政治(政治家)を生み出していく為にも、輿論が構築できる社会になってほしいですね。

2017年6月28日水曜日

日本は最近元気がない。 これまで知らなかった歴史の面白さ

講談社現代新書 橋爪大三郎x大澤真幸「日本ってこんなにおもしろい!」


  「日本は最近元気がない。経済のせいだと、思っている人が多い。そういう問題ではない、と思う。自分たちがどこから来て、どこへ行くのは、それがわからないからだ。いま何をすればいいか、わからないから。そう歴史の方向感覚を失っているからだ。(中略)
歴史とは「物語」。いまがいまであることを支えている、大事な出来事の積み重ねである。でもしばしば、歴史学者が、このことを忘れている。歴史を教える教員が、このことをわかっていない。歴史の専門家が歴史を理解していないのだ。
日本の歴史は、明治のところで、ぷっつり切れている。それより前の出来事は、明治以降と結びつかいないまま、事実だけが並んでいる。これでは、歴史とは言えない。(後略)

  これは、この書の語り部の一人、橋爪大三郎の「まえがき」の一部である。

  橋爪氏が18の疑問を提示し、それを基に大澤真幸氏との対話本である。大澤氏は「あとがき」で、『この対談は、普通の対談と違う。・・・云々と記しています。



2017年6月22日木曜日

来年は明治150年 教科書でしか知らない明治を改めて読んでみる

鈴木壮一著「明治維新の正体」    原田伊織著「明治維新という過ち」
両書とも毎日ワンズ出版

  両書とも、徳川政権末期の、世の中の動きを、水戸藩の水戸斉昭、一橋慶喜、西郷隆盛、松平容保などなどの歴史上名高い人物の動きを通してこの時期を観ています。

  両書の著者の見方は人物によっては、肯定的であったり否定的であったりしています。それはそれで興味が湧きます。

  ただ、当時の長州藩への見方は両書とも完全に否定的です。これは共通しているようです。

  教科書の明治維新の記述は、いかにも後の政権のプロパガンダ的な記述では?と彷彿させる書であります。

  明治元年から数えて150年、区切りの年に読むのもいい書かも知れません。


  

2017年5月24日水曜日

憲法施行70年 大本営 安倍政権 官僚と報道機関 その6

辻田真佐憲著「大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争」幻冬舎新書

   大本営と言えば。戦争当時の官僚中の官僚の集団である。副題にあるように、彼等はかの有名な「転進」「玉砕」など事実に反する造語を使って、国民に改竄・隠蔽・捏造の情報を発表しました。当時は陸軍と海軍の確執に始まり、陸軍省と海軍省の対立、また同じ省内でも作戦部と報道部の確執などなど、とても一国の組織とは思えない内部対立。一本化されたはずの大本営内部でも、それぞれ意地をはった確執が蔓延していたようです。今も昔も自分の立場が最も大事で、決して向かうべき国民の方には目が向いていないことが分かります。
   加えて、監視役を担うべき報道担当(当時は新聞が主力)が大本営(政治)と一体化して、嘘の情報を垂れ流すという愚行がまかり通っていたようです。国民には真実が知らせられないまま、ずるずると敗戦に傷口を広げていった官僚と報道機関ということになります・

   では、現在はどうでしょう?6年前の福島第一原発の重大事故以前のマスコミはどうだったでしょうか?また、いまだに原発を推進するマスコミはどうでしょうか?安全神話を信じ込まされた?大スポンサーの電力会社への忖度・配慮はなかったといえるでしょうか?
  
   また、安倍政権に露骨なマスコミ干渉(特にテレビ)はどうでしょうか?著者は朝日新聞に、「ネット社会における、自分と考えの合う情報にか触れず、異なる意見に触れない風潮が高まっている。(中略) 政権はどうせ二者択一なんだから政権を支持してくれる範囲内で語ればいい云々」と。これは、ある意味言論統制化に戦前より問題が深刻だと仰せです。詳しくは本書、朝日新聞5月19日付け「耕論」欄で。


 

2017年5月15日月曜日

憲法施行70年; 安倍総理 改憲の意味 55年体制 その5

白井 聡著「戦後政治を終わらせる」~永続敗戦の、その先へ (NHK出版新書)

ポスト55年体制へ三つの革命:
1)政治革命;2016年参議院選の野党共闘は、その奔り。
2)社会革命;基本的人権の尊重。国民主権の原理。男女の平等などなど、戦後の憲法に 書き込まれた、基本的な原理。これらの徹底化を図ること。
3)精神革命ー太初(ハジメ)に怒りあり:政治革命、社会革命にしろ、それらを実  ならしめるためには、それらを実行する立場に人たちに、それらを実行させるための圧力がかかるかと言うこと。

この革命には、血なまぐさいことは、何もありません。我々市民のできることでしょう。

2017年5月1日月曜日

憲法施行70周年 沖縄の歴史 日米地位協定④

2017年5月1日 朝日新聞 社会欄の記事

  本土の人間である自分は沖縄のことをあまりに知らないことに慄然とする。本土に人間は新憲法が出来、平和になると喜んで時期に、1945年12月の衆議院議員選挙法の改正で、女性の参政権が認めれられているそばで、沖縄県民の公民権が停止されてしまった。結果、沖縄県民からは議員がいなくなった。
  さらに、憲法施行後の46年、マッカーサーは政府高官に「沖縄の開発と駐留を順調に進めることで、日本の本土に軍隊を維持することなく、外部の侵略に対し日本の安全を確保できる」と話しているそうです。

  〈国家にとり実に容易ならぬ問題であり、見ようによっては沖縄県に対する主権の放棄とも相成っている。〉
これは、戦前、沖縄から議員になった漢那憲和氏が、公民権停止に抗議したときの言葉。

  さらに、〈このたびの戦争で沖縄県の払った犠牲は、その性質においておそらく全国一ではありますまいか。〉〈県民の忠誠に対して、政府は県民の代表が帝国議会において失われんとするの当たり、あらゆる手段を尽くし、これを防ぎ止めねば〉再考を迫ったが、内務大臣は「連合軍司令部の方の同意が得られませぬ〉との返事。

  内務大臣の言葉は、そのまま今の菅官房長官の「粛々と辺野古新基地の建設を進める」に通じている。

2017年4月19日水曜日

憲法施行70年 平和ボケ 戦争ボケ 日本語 ③ 

「日本語の難しさ」
  最近、「平和ボケ」、「戦争ボケ」と言う言葉を、SNSなどでよく目にします。
 「平和ボケ」は、政治をはじめとする世情の変化に無関心で、「今ある危機?」にも鈍感な市民にことを指しているのでしょうか?
  この「平和ボケ」は「戦争ボケ」の相対語でしょうか?私はそうは思いません。「平和ボケ」には、無関心であっても、その恩恵に浴している現実の世界にいる限り、それは十分立派な「平和ボケ」人であると思います。

  一方、「戦争ボケ」は相対語ではないと思う理由は、この言葉は正しくは「戦争忘ボケ」と「忘れた」を入れることで、その輪郭がはっきりするのではないでしょうか?「美しい国」とか「世界の中心で輝く国」とか何かと威勢のいい言葉を使って国民を「戦争忘ボケ」の状態にしておく事が、「積極的平和主義」とか言って、軍事力を強化している安倍政権の考えなんだと思います。ですから、「平和ボケ」は逆に安倍政権にとっては好ましくない国民、邪魔な国民のことを言う意味で、立派な存在ではないでしょうか?

  アメリカをはじめ何かと武力がないと平和が維持できないと思い込んでいる、所謂好戦国(交戦国ではない)は「戦争ボケ」しているのかも知れません。「力」が平和をもたらすと国の指導者が言っていますから。これは私から見れば戦争があって当たり前と言っているに等しいのですから、彼等は「戦争ボケ」でしょう。

  今の憲法が施行されて今年の憲法記念日は70年になります。同じ年に生まれた私にはこの年月は(日本が直接戦争に関わらなかったという意味で)平和な年月だった。即ち、この平和が当たり前、日本は戦争には加担しないということが、憲法に明記してあることで権力者に課せられていると、余り意識などしないでも自然とそう思ってきました。
  ですから、私は偉大な?「平和ボケ」老人でいればいいと思っています。そして、この「平和ボケ」が世界に広がればいいとも思っています。「戦争ボケ」からは破壊と死人しか作り出しません。怖いことです。















2017年4月9日日曜日

現代社会 国際情勢 普遍宗教(仏教 キリスト教 イスラム教 儒教)

橋爪大三郎・大沢真幸 対話本「ゆかいな仏教」より

       普遍宗教(仏教・キリスト教・イスラム教・儒教)
仏教以外の宗教はすべて大帝国あるいは峡谷の中でメインの宗教として採用され、時には国教化してきました。そして数多く現存します。(儒教は長い間、中華帝国という世界の文明の先進国という世界の文明の先進国として継承されてきた。

  仏教国はあるにはあるが、それ程の強い国ではない。覇権国や大帝国の権力と完全に一体化したことがない。現在でも、仏教は知的に継承され、またそれに憧れたり、修行したりする人がいる。仏教にはある強い合理性があったからである。拒否できない合理性が二千年をはるかに超える期間、人々を魅了してきた。

  キリスト教、なざれのイエスと言う人が出てきて、死んだが、その人は神(の子)であって・・・・・非合理性?

  仏教が波及したのはユーラシア大陸の東半分で、西半分はほとんど仏教が浸透しなかった。その地域に人々は、仏教についての皮膚感覚を全くもっていない。

  ところが、近代社会、現代社会の基本的な仕組みは、そのユーラシア大陸の文明から出てきたアイディアや制度に主に基づいています。これらが順調で、申し分ないのであればよいのですが、これらが、現在、そうとう面倒な問題を抱えています。立ち行かなくなっていることを、地球上のすべての人が自覚しています。

  そうであるなら、ユーラシア大陸のの西半分の人が、まったく知らない仏教というものの発想を検討してみることに価値がある。なぜなら、彼らの知らない合理的な核が仏教にはある。その合理的な核は、現在の行き詰まりに対して、示唆するもがあるかも知れない。

2017年3月31日金曜日

お釈迦様の教え 道徳教育 人のこころ 徳目 教育勅語 

中村 元著「ブッダ伝 生涯と思想」角川文庫

  インド哲学・古仏教研究の泰斗、中村元先生がNHKの「こころの時代」で講義された内容を文庫本にした本です。

  古い仏典を解説して、ブッダの教えが何であるかを教えてくれています。「難しいことを易しく、解りやすく」の書だと思います。あたかも僧侶は難しい経典を難しいまま唱えることにご利益?があるがごとき在家に接する。しかし、お釈迦さまの教えは決して難しくない?中村先生の解説が解りやすいということもあります。人がどう生きていくかについて、真理に基づいて説いている。ただそれだけのことなんだと思います。

  こころの在り方、徳目、いじめ問題などなどに対し、古典仏教、即ちブッダの教えにはその「こころ」が書いてあります。2500年も前にすでに、人間の営みの在り方を、悟りを開いたという形で広く人々の心を掴んできました。

仏教は、「四苦八苦」この苦は苦しみではなく、意のままにならないということだそうです。仏教徒以外のひとからは、仏教は「厭世的で、悪しきニイリズム」だと捉える向きもあるようですが、しかし、ブッダは最期の旅で「世界は美しいもので、人間の生命(いのち)は、甘美なものだ」と仰せです。

2017年3月22日水曜日

日本語 花 東アジア 漢字文化圏 日本の四季と男女の仲

石川九楊著「〈花〉の構造ー日本文化の基層ー」

本題の様に、「花」と言う言葉をテーマにした、文化論です。
著者曰く、「日本語と言うのは単一の言語ではない。漢字語の漢文、漢文体、漢文法、ひらがな語のひらがな文、ひらがな文体、ひらがな文法、国文法このふたつが混合した宇宙が日本語である」と。さらに、今の日本は劣化していると言及しています。

また、「日本語や日本語文法というものはないということである。英語があり、フランス語があり、ドイツ語があり、アラビア語があるというように、日本語があると考えるのは、言葉がもっぱら声で成り立っているという西欧言語学モデルの誤れる発想である。文字が言葉に深く関与する東アジアにおいては、漢字語=漢語が東アジア漢字文明圏(中国、日本、韓国、朝鮮、越南)にまたがる共通言語である。」・・・・

「花」を通して、ユニークと言っては著者に失礼かもしれません、私の様な凡夫には難解な点もありますが、大変興味のもてる本です。

2017年3月18日土曜日

安倍政権 吉田松陰 テロ 共謀罪 江戸政権 明治長州政権から150年

 森田健司著 「明治時代という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府の実像」洋泉社

 今年は大政奉還150年で、来年は明治以来150年の節目になります。安倍政権はなんか祝賀を企画しているようですが、異を唱えたい。
  安倍晋三総理は、吉田松陰を尊敬していて、松陰の辞世の句;
     「身はたとひ 武蔵に野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
安倍総理は、「ここに込められた気概には圧倒される」と言っています。そこで、この句を、誰もが忌まわしい存在と思っている「イスラム国」の人たちに置き換えてみると、
     「身はたとひ アラブの砂漠に 朽ちぬとも 留め置かしまし イスラム魂」
このように読み替えても違和感がありません。なぜなら、両者に共通するのはテロリストだからです。自分の意に沿わない敵は武力をもって倒す。これがテロです。
  しかし、多くの日本人が吉田松陰を尊敬していると言います。例えば、同じ長州出身の日本共産党の宮本顕治氏もその一人だそうです。更に、日本共産党を代表する野坂参加三・志賀義雄も長州出身である。今もって、「長州右派」対「長州左派」の対決構図が続いている?
  吉田松陰は、老中間部詮勝の暗殺を松下村塾の弟子たち(高杉晋作・伊藤博文・品川弥次郎ら)と画策したことで、時の法度に反した罪で刑死した人物です。勿論、啓蒙思想家ともいえる学者であり、その言語が人々の心に影響を与えたことも事実でしょう。しかし、彼の門下生たちが、その後、高杉晋作らは建設中の英国公使館焼き討ち、伊藤博文らは橘次郎暗殺等々、明治に至るまでの歴史に残る著名人の多くはテロに関わっている。そして、彼らは攘夷が正義とばかりに下関戦争で大敗を喫す。この事件が江戸政権には条約交渉の重しとなっていく。後に不平等条約と言われるのは、こうした、偏向した攘夷思想の長州藩や薩摩藩の中途半端な軽挙妄動連中の「付け」であり、決して江戸政権の交渉力のなさからだけではなく、寧ろ、交渉に当た江戸政権の役人たちは結構頑張った。

  今、安倍政権は「テロ等準備罪」即ち「共謀罪」法案を成立させようとしています。これがないと、東京五輪も開けないと、まことしやかに喧伝しています。孝明天皇を拉致しようと禁門の変で当時の首都京都市内を騒乱状態にした久坂玄瑞もいました。安倍総理はテロを起こし、暗殺を繰り返した人物を尊敬しながら、「共謀罪」を実しやかに成立させようとする。テロリストを尊敬すると言う人に「共謀罪」はできないでしょう。

  この民主主義の憲法を持つ今の時代に、先の敗戦の総括もなしに、明治維新を祝う必要性はない。日本の長い歴史のなかでは、寧ろ異質な明治からの半分の75年を検証し、総括するほうが遥かにこの国の将来のためになる。


2017年3月14日火曜日

赤松小三郎 立憲主義 江戸政権末期 憲法 戦後レジーム 明治長州政権(長州レジーム)

関 良基著「赤松小三郎ともう一つの明治維新」テロの葬られた立憲主義の夢

作品社出版)

恐らく多くの人がこの人物の名前を知らないでしょう。私もこの本に出合うまで知りませんでした。「福沢諭吉帝国主義イデオロギー」を読んで福沢諭吉も観る角度で、全然違う風景が見えてくる。そしてまた、この書を読むと、江戸政権末期に小松小三郎という、今の憲法を先取りする考えを「御改正口上書」として、薩摩藩・越前藩に立憲主義・基本的人権・議会などを記した建白書を提出した傑出した人物がいたということに驚きである。時代的に坂本龍馬などにも影響を与えた人物である。如何に、歴史が時の政権に都合(プロパガンダ)によって、書き換えたり、解釈を変えたり、事件として残る暗殺以外に、都合が悪い人物は歴史上から抹殺されているかを知る。

小松小三郎、信州上田藩の下級武士であり、英国式の兵法を教える兵学者である(門下生に東郷平八郎などがいる)が、彼が著した「御改正口上書」にある内容は、今の憲法の理念と比べて何ら遜色のない内容を持っていたということである。

安倍晋三総理をはじめ、明治150年を迎える来年、明治を賛美する式典を考えているようだが、はたして、それに値する価値のあった明治政治だったかどうか、よく考える必要がある。例えば、安倍総理も引き合いに出す、吉田松陰のついても、彼が排外主義者で、尊王攘夷論者であり、テロリストの側面を持っていたことも忘れてはならない。松下村塾の門下生たち、高杉晋作・品川弥次郎・伊藤博文等々、自分の思いを遂げるために暗殺、即ちテロ行為を実行していた事実も見過ごされやすい。

今の日本が置かれている政治状況を否と思うとき、その解を惹起させてくれる名著かと思います。著者も安倍政治に危機をもってこの本を書いたと言っています。

2017年3月9日木曜日

安倍政治 日本会議 福沢諭吉 帝国主義

「福沢諭吉と帝国主義イデオロギー」杉田 聡著 花伝社

日本会議の政策
(1)天皇崇拝・天皇制改編・男系の維持
(2)新憲法制定
(3)国防・軍事の強化(自衛隊の国防軍化)
(4)愛国心教育の推進
(5)人権制限
(6)家族制の強化
(7)「自虐的歴史観」の克服
(8)天皇・首相らの靖国参拝・公式参拝の実現
(9)領土防衛

福沢諭吉の帝国主義的イデオロギーと明治政府
(1)「帝室」の重視=絶対主義的天皇制の擁護
(2)明治憲法の絶賛ー人権制限・反立憲主義
(3)「軍国」化=軍備拡張とそのための徴税・増税
(4)「報国心」の形成、「報国の大義」の普及をめざす教育の実現
(5)官民調和のための各種人権の制限
(6)人種改良のための女性の役割、家庭に対する女性の責務
(7)明治の歴史修正主義
(8)国民(軍人)統制のための靖国神社の利用

これは著者が、現在進行中の安倍政権と一心同体と言っていい「日本会議」の政策と、明治政府とこれまた殆ど表裏一体の福沢諭吉の考え方の比較だそうです。尚、(9)の領土問題は、日本会議の重要な運動目標だが、現代と福沢の時代では政治状況が違いすぎるので、省くとあります。

日本会議がこの福沢諭吉の考え方を、この現代に持ち込んでいることが、この本を読むと分かると思います。福沢諭吉の時代、即ち彼が求めていた「脱亜入欧」(「分亜入欧」と言う言い方あるとか)の時代は、その手本となる西欧諸国が帝国主義・植民地主義の全盛の時代でした。こうした流れを結局1945年まで続けてしまった。あれから70年、またぞろ福沢諭吉の考えが今のこの時代に蘇ろうとしている。詳しくは、ご一読あれ。

2017年2月18日土曜日

たばこ 禁煙 喫煙 受動喫煙 シンガポール 

2020東京オリンピックに向けて、受動喫煙対策が国会で議論されているようです。
WHOから、日本の対策は「世界最低」水準の酷評されています。

愛煙家の主張は、「零細業者への配慮が必要」(赤松広隆)「嗜好品なんだから、愛煙家と禁煙家の双方の利益を守ることが大切」(野田毅)
一番、あれ~と唖然とする言い分は、野田佳彦の「たばこ増税は税制を通じたおやじ狩りみたいなもんだ」
どの意見にも、受動喫煙の危険に対する思いが全然伝わってこない。

今は、病院に「禁煙外来」科と言う診療科目もある。病院にこれがあるというこは、喫煙は病気ということになる。

シンガポールでは、建国当初から喫煙やゴミ捨てには厳しい規制・罰金がある。45年も前でも、ポイ捨てはS$500(当時の為替で日本円で6万円にもなる)理由は簡単、公共の場所では、お互いに我慢する、迷惑をかけない。これが徹底している。窮屈といえば窮屈だが、公共の利益を優先するとこうなるかなと納得したもんである。最近はたばこにも大変煩くなっているとのこと。

因みに、私は40歳まではヘビースモーカーでしたが、誕生日を境にそれ以降は一本も吸っていません。この歳までに禁煙すると肺が元の綺麗さを取り戻すことが出来るとか、当時の医者から聞いたことがありました。これが理由でした。元喫煙家としては、あまり偉そうなことは言えませんが、他人の健康に害を及ぼすたばこの煙はやはり排除しないといけませんでしょう。

2017年2月14日火曜日

日本語 SNS 罵詈雑言 仏教の教え 用語

【知っているようでようで、意外と知らない仏教】

「六波羅蜜」:京都に六波羅蜜寺というお寺もあります。平清盛ゆかりの地でもあります。では、六波羅蜜とは何だろう?単なる寺の名前としてはちょっと意味が不明です。

大乗仏教の中心思想は、「菩薩」(観音菩薩、普賢菩薩などなど)という理念と六波羅蜜の実践である。「出家」と「在家」を分けるのではなく、皆「菩薩であるといった方向への実践である。と言うことだそうです。難しいですね。

語源:波羅蜜=サンスクリット語;パーラム+イ+ター=向こう岸へ渡る、又は、パーラミ+タ=完成 の意の音訳ですから、ますます難しいのです。

六つある波羅蜜の一つ「持戒波羅蜜」:【五戒】不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・(不飲酒)、加えて不驥語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見とあります。戒を習慣化することで戒に自分が守られるということ、らしいです。全部で不飲酒を含めると11戒ありますが、これを「十善戒」と呼ぶそうです。ちょっと難しい言葉があります、この中で特筆したいのは、言葉に関する戒めが4つもあります。お釈迦様の教えは、如何に言葉が大切かを物語っていると思います。宗教ですから、当たり前と言えば当たり前です。

因みに、現在我々が日常使っている言葉の7~8割は仏教から成り立っているともいわれています。よく私は無宗教と言う人がいますが、知らず知らずに仏教の影響を受けているということだと思います。生活に仏教のこころがしっかり根付いているということです。

ヘイト スピーチなど、聞くに堪えない言葉がネット上に氾濫しています。困ったことです。これでは、自分の主張したいことが、正しく理解されないばかりか、憎悪は憎悪を呼ぶだけです。言葉の持つ重みを、もう一度かみしめて、多様性を認める世の中にしていくためにも、言葉は大切です。言葉の劣化は国の劣化でしょう。言葉を大切に。

2017年2月7日火曜日

文部科学省 不祥事 脱法 高橋是清 中央集権国家  

 「小中学校の施設経営監督は地方自治体に委せよ。大学への国庫補助金は必要かもしれぬ。だが学長選挙も内部行政も文部省の手を煩わせず大学に自治の精神を発揮させよ。官立大学の特典を廃止し私立大学と自由に競争させ学術の発達進歩を計れ。文部省は一国にとりて必ずしも必要欠くべからず機関にあらず。」 表題は 『文部省ヲ廃止スルコト』 だそうです。(朝日新聞「日曜に想う」欄から引用)

 これは、百年前、なんと高橋是清の提言であるそうだ。高橋是清と言えば、国際金融政治家であり、大蔵大臣・総理大臣を務め、2.26事件の犠牲になったことでは、広く知られている。
この高橋是清が、自由主義がもたらす恩恵を信じ、官僚主義や軍国主義と闘った政党政治家であることは意外と知られていないのかも知れません。

 このコラムは、次の様に結んでいます。
なぜ今この国において、科学でも文化でも体育でもなく、文教事務を国家が統括する「文部」を頭に冠した役所が存在する必然性があるのか。
 責任を負うべきところで身をかわし、自由に任せるべきところで管理を持ち出し、特権を慎むべきところで守ろうとする。そうしたちぐはぐな行動様式を改めない限り、その必然性を感じさせることは難しい。百年たっても、「必要欠くべからざる機関」であることの挙証責任は他でもない、文部官僚たちにある。

2017年1月31日火曜日

安倍政治 共謀罪 戦争安保法案 防衛省と大学 

「戦争安保法案に反対する京大有志の会」の声明文

戦争は、防衛を目的に始まる
戦争は、兵器産業に富をもたらす(約2500社)
戦争は、すぐに制御が効かなくなる
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす
戦争は、人々の四肢だkでなく、心の中にも深い傷を負わせる

精神は、操作の対象物ではない
生命は、誰かの持ち物ではない
海は、 基地に押しつぶされてはならない
空は、 戦闘機の爆音に消されてはならない

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい

学問は、戦争の武器ではない
学問は、商売の道具ではない

生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ち込まなくてはならない


戦争法案に反対する時の声明文です。今国会に提案されようとしている「テロ等 云々」法案など、安倍政治がやろうとしていることは、この声明文の趣旨の様に、確り反対していかないといけない。



2017年1月27日金曜日

憲法施行七〇周年 安倍政権 国会演説 ハワイ慰霊 その2

  20日から始まった通常国会。この日はアメリカ大統領の就任式の日でもある。いよいよトランプ大統領のアメリカが始まる。

  安倍政権の支持率が年末から年明けにかけて、上昇したそうだ。所詮世論(セロン)だから私はあまり気にしない。おそらく、真珠湾の慰霊がアップに繋がったのだろう。まあ、戦争相手国の戦士の慰霊に行くのは悪いことではない。決して、謝罪ではないと言っているが、何も言葉に謝罪を言わななくても、何を話すか、その内容が問題である。安倍総理の談話は残念ながら、記憶に残るような名演説ではなかった。一方、謝罪の言葉(apology)は使わなくても、オバマ大統領の広島でのスピーチは、多くの日本人のこころをつかんだようだ。それでも納得出来なかった被爆者もいたようだ。それも正面から受け止めればいいのではないか。一体、この両国の首脳の差は何だろうか?

  さて、国会冒頭の安倍総理の施政方針演説でも、このハワイ訪問が語られた。自慢話にしたいのだろう。それはそれでいい。しかし、安倍総理に限らず、我々日本人は、戦争の犠牲者310万人日本人の犠牲者の方のみに思いが至っていないのでは?

  先の戦争は、言うまでもなく、何も対アメリカ戦だけではない、1941年12月8日以前に、中国本土をはじめ結局敗戦まで「15年戦争」(鶴見俊輔氏)も、アジア諸国を軍靴で蹂躙し続けてきた。いわば加害者の立場であること。是も事実である。その間、中国本土をはじめ他のアジア諸国で、実に一千万人以上の犠牲を強いたことを忘れてはならない。




2017年1月20日金曜日

水俣病 フクイチ 国と企業と被害者 

「人間の被害」 国は直視をと題した、朝日新聞 西部報道センター 石川 智也記者の『記者 有論』の記事を紹介します。

抜粋:チッソ救済が閣議決定された2週間後、環境庁は患者の認定審査を厳格化する通知を出す。以降、水俣病と認められる人は激減した。
被害者のためという理由で加害者を救いながら、目前の「被害」を直視することを避けた・・・・・・(中略)
東電のフクイチ事故後のこの国の有り様と、驚くほど重なる。(中略)
未曾有の被害を生んだ経営陣の徹底的な責任追及もなく、加害責任の一端を負う国は背後に退いたまま、国民の懐をあてにした企業救済と補償の枠組みが先に決まる。これも「水俣」と「フクイチ」の共通点だ。 (後略)

若手の記者の分かりやすい記事に共感しました。是非、一読をお勧めします。詳しくは、1月20日付朝日新聞 記者有論で。

戦争 2.26事件 渡辺錠太郎 渡辺和子 恩讐のかなた

故渡辺和子女史

昨年記憶に残った人のなかで、もう一人。ご存知の方も多いと思いますが、かの2.26事件の犠牲者である、陸軍大将渡辺錠太郎教育総監の末娘で、当時現場で父親が銃撃されるのを至近距離で目撃した修道女である。昨年末に亡くなったとの報道に接しました。

NHK「こころの時代」の中で、戦後70年の特集番組がありました。渡辺女史、無着成恭、養老猛司、鎌田慧、堀文子、加藤久祚各氏のインタビューを含めた経験談・人生観の番組でした。

渡辺和子女史は、「かくも長き道のり」と題しているのは、2.26事件の実行部隊の士官の弟さんと面会するまでに要した時間である。

晩年は、岡山のノートルダム清心学園の理事長として、教育にご尽力された。ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の言葉の通り、その思想は、遠い長い道のりを乗り越えての心境であろう。また一人、大切な人が亡くなった。残念である。 合掌

2017年1月14日土曜日

日本語 言葉の持つ重み SNS 対話 多様性

「お前は常に自分が正しいと思っているだろう。しかし正しいことを言うときは人を傷つけるということを覚えておけ」

これは、竹下登元総理が石破茂議員に話した言葉だそうです。

正しいことをあまり真っすぐ言われますと、誰も表立って反論はできない。正しいその主張の陰で立場を失う、窮地に立つ人のことを思えば、たやすく口にはできないはずだ。以後そんな半端な自分をきつく責めさいなむことになろうとも。(朝日新聞 『折々のことば 鷲田 清一』より

私のような凡夫には、では正しいことは「何時、どうやって、どんな言葉で」表したらいいのか?と迷うところです。

しかし、昨今のネット上の内容を見ると、目をそむけたくなるような言葉が多く見られます。正しいことを正しく伝えるには、それ相応の正しい日本語が求められる。ということでしょうか。いや、これ以外には考えられない。

ディベートは相手を打ち負かすことで決着がつくのかもしれません。ダイアログ(対話)は、相手の意見も聞く。多様性を認めるということでしょう。対話能力を磨きたいものです。また、少数意見に確りと耳を傾けることが、為政者には求められるということであると理解したいですね。




2017年1月11日水曜日

日韓関係 安倍政権 慰安婦問題  少女像 歴史認識

「慰安婦に対する手紙」

拝啓
  
   このたび、政府と国民の協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦 の方へのわが国の国民的な償いが行われることに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
   いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として幾多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
   我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感いしつつ、おわびと反省の気持ちをを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
   末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなるよう、心からお祈りしております。
                     平成八(1996)年
              日本国内閣総理大臣  橋本龍太郎
           (歴代署名:小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)

大沼保昭著 聞き手 江川紹子 「歴史認識」とは何か 中央公論新社刊 記載より
     

2017年1月9日月曜日

憲法施行70年 改憲は改正か改悪か 安倍自民党改正草案 その1

  今年は現憲法が施行されてから70年になる。すなわちこの年に生まれた我々が古希を迎えるということになる。「団塊の世代と言われる世代の先頭」でもある。余談だが、この「団塊の世代」は堺屋太一の造語だそうだが、私自身はこの一括りには、当てはまらない人生を過ごしてきたと、自戒と自負の入り混じった思いもある。この年寄に何ができるか?たぶん何もできない。


  憲法学者の長谷部恭男早稲田大学教授:「立憲主義に生きる経験は僥倖である」(朝日新聞)と言っています。
(注:僥倖=予想もしなかった幸運の意)将棋の藤井聡太君がインタビューでこの言葉を使っていたのには驚きました。

   およそ凡夫の私のこれまでの人生を振り返ってみれば、現憲法下でただただ大量生産・大量消費のレールの上で一生懸命働いてきたことも事実である。今は労働時間は何時間まで、過労死の問題等々、隔世の感があります。さらにこの平和憲法のもと、「戦争を知らない子供たち」と言われ、今日まで軍隊と言う名の組織の一発の銃声を聞くことなく、生きて来られたのは『僥倖』と言えるかもしれない。そして、まずこの歴然たる事実をしっかり認識すべきであろうと考えています。

  言うまでもないが、当時は連合軍(米軍)占領下にあったが、現憲法が出来るまでに、先人たちが「平和国家」という文言を導くまで、試行錯誤していたことが、報道されていました。幣原喜重郎も9条の文言は、日本側から提案されたとインタビューに答えています。このこと一つをとっても、たとえ占領下であっても、彼ら(マッカサー)の言い分を唯諾々と受け入れただけだはないことが垣間見られます。また昭和天皇ご自身もGHQ草案をみて「いいじゃないか」と発言されていた旨のメモが出た来た。(朝日新聞)そして、当時の多くの国民がこれを喜んで受け入れたこともまた事実であろう。でなければ、70年も続かないだろう。決して、押しつけ憲法言われるようなものではない。

  21世紀の世界が渇望する世界平和を70年も前にこの国は、反省も踏まえてその理想を世界に宣言した、誉れ高き憲法である。正し、憲法とて不磨の大典ではないでしょうから、必要とあらば憲法の規定に則り改正(あくまで改正であって改悪ではない)するのはあってもよいとは思います。それには今改正議論を始めても、10年以上の歳月は必要ではないだろうか?それだけかけないと、今の憲法の理念を上回る、(為政者の暴走を防ぐための)素晴らしい文言を誰が言えるのであろうか?あるいは10年たっても出て来ないかもしれない。ならば、そのままでいい。

2017年1月4日水曜日

日本史 革命 北条泰時 武士 天皇 

「日本史のなぞ」大沢真幸著 朝日新書


帯に「信長でもない、 龍馬でもない 日本の歴史上ただ一人に革命家とは誰か?」とあります。

革命家はただ一人、承久の変、御成敗式目の北条泰時のことです。その後徳川幕府がほろびるまで武家政治の真の体制を作った人物ということです。

東の革命 /  西の革命 と東洋(中国・日本)と西洋のとの比較

天皇なき天皇制(天皇という謎)

鎌倉幕府➡将軍:執権 室町幕府➡将軍:三管領四識
江戸幕府➡将軍:老中(大老)

明治政府➡天皇:元老 戦後は➡政府:元老役はアメリカ

今年は、天皇の生前退位が問題として取り上げられます。
今の憲法と絡んでというか、憲法に明記されている天皇の存在をどうとらえるのか?参考になる一冊かと思います。さて、安倍政権は???