2017年1月31日火曜日

安倍政治 共謀罪 戦争安保法案 防衛省と大学 

「戦争安保法案に反対する京大有志の会」の声明文

戦争は、防衛を目的に始まる
戦争は、兵器産業に富をもたらす(約2500社)
戦争は、すぐに制御が効かなくなる
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす
戦争は、人々の四肢だkでなく、心の中にも深い傷を負わせる

精神は、操作の対象物ではない
生命は、誰かの持ち物ではない
海は、 基地に押しつぶされてはならない
空は、 戦闘機の爆音に消されてはならない

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい

学問は、戦争の武器ではない
学問は、商売の道具ではない

生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ち込まなくてはならない


戦争法案に反対する時の声明文です。今国会に提案されようとしている「テロ等 云々」法案など、安倍政治がやろうとしていることは、この声明文の趣旨の様に、確り反対していかないといけない。



2017年1月27日金曜日

憲法施行七〇周年 安倍政権 国会演説 ハワイ慰霊 その2

  20日から始まった通常国会。この日はアメリカ大統領の就任式の日でもある。いよいよトランプ大統領のアメリカが始まる。

  安倍政権の支持率が年末から年明けにかけて、上昇したそうだ。所詮世論(セロン)だから私はあまり気にしない。おそらく、真珠湾の慰霊がアップに繋がったのだろう。まあ、戦争相手国の戦士の慰霊に行くのは悪いことではない。決して、謝罪ではないと言っているが、何も言葉に謝罪を言わななくても、何を話すか、その内容が問題である。安倍総理の談話は残念ながら、記憶に残るような名演説ではなかった。一方、謝罪の言葉(apology)は使わなくても、オバマ大統領の広島でのスピーチは、多くの日本人のこころをつかんだようだ。それでも納得出来なかった被爆者もいたようだ。それも正面から受け止めればいいのではないか。一体、この両国の首脳の差は何だろうか?

  さて、国会冒頭の安倍総理の施政方針演説でも、このハワイ訪問が語られた。自慢話にしたいのだろう。それはそれでいい。しかし、安倍総理に限らず、我々日本人は、戦争の犠牲者310万人日本人の犠牲者の方のみに思いが至っていないのでは?

  先の戦争は、言うまでもなく、何も対アメリカ戦だけではない、1941年12月8日以前に、中国本土をはじめ結局敗戦まで「15年戦争」(鶴見俊輔氏)も、アジア諸国を軍靴で蹂躙し続けてきた。いわば加害者の立場であること。是も事実である。その間、中国本土をはじめ他のアジア諸国で、実に一千万人以上の犠牲を強いたことを忘れてはならない。




2017年1月20日金曜日

水俣病 フクイチ 国と企業と被害者 

「人間の被害」 国は直視をと題した、朝日新聞 西部報道センター 石川 智也記者の『記者 有論』の記事を紹介します。

抜粋:チッソ救済が閣議決定された2週間後、環境庁は患者の認定審査を厳格化する通知を出す。以降、水俣病と認められる人は激減した。
被害者のためという理由で加害者を救いながら、目前の「被害」を直視することを避けた・・・・・・(中略)
東電のフクイチ事故後のこの国の有り様と、驚くほど重なる。(中略)
未曾有の被害を生んだ経営陣の徹底的な責任追及もなく、加害責任の一端を負う国は背後に退いたまま、国民の懐をあてにした企業救済と補償の枠組みが先に決まる。これも「水俣」と「フクイチ」の共通点だ。 (後略)

若手の記者の分かりやすい記事に共感しました。是非、一読をお勧めします。詳しくは、1月20日付朝日新聞 記者有論で。

戦争 2.26事件 渡辺錠太郎 渡辺和子 恩讐のかなた

故渡辺和子女史

昨年記憶に残った人のなかで、もう一人。ご存知の方も多いと思いますが、かの2.26事件の犠牲者である、陸軍大将渡辺錠太郎教育総監の末娘で、当時現場で父親が銃撃されるのを至近距離で目撃した修道女である。昨年末に亡くなったとの報道に接しました。

NHK「こころの時代」の中で、戦後70年の特集番組がありました。渡辺女史、無着成恭、養老猛司、鎌田慧、堀文子、加藤久祚各氏のインタビューを含めた経験談・人生観の番組でした。

渡辺和子女史は、「かくも長き道のり」と題しているのは、2.26事件の実行部隊の士官の弟さんと面会するまでに要した時間である。

晩年は、岡山のノートルダム清心学園の理事長として、教育にご尽力された。ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の言葉の通り、その思想は、遠い長い道のりを乗り越えての心境であろう。また一人、大切な人が亡くなった。残念である。 合掌

2017年1月14日土曜日

日本語 言葉の持つ重み SNS 対話 多様性

「お前は常に自分が正しいと思っているだろう。しかし正しいことを言うときは人を傷つけるということを覚えておけ」

これは、竹下登元総理が石破茂議員に話した言葉だそうです。

正しいことをあまり真っすぐ言われますと、誰も表立って反論はできない。正しいその主張の陰で立場を失う、窮地に立つ人のことを思えば、たやすく口にはできないはずだ。以後そんな半端な自分をきつく責めさいなむことになろうとも。(朝日新聞 『折々のことば 鷲田 清一』より

私のような凡夫には、では正しいことは「何時、どうやって、どんな言葉で」表したらいいのか?と迷うところです。

しかし、昨今のネット上の内容を見ると、目をそむけたくなるような言葉が多く見られます。正しいことを正しく伝えるには、それ相応の正しい日本語が求められる。ということでしょうか。いや、これ以外には考えられない。

ディベートは相手を打ち負かすことで決着がつくのかもしれません。ダイアログ(対話)は、相手の意見も聞く。多様性を認めるということでしょう。対話能力を磨きたいものです。また、少数意見に確りと耳を傾けることが、為政者には求められるということであると理解したいですね。




2017年1月11日水曜日

日韓関係 安倍政権 慰安婦問題  少女像 歴史認識

「慰安婦に対する手紙」

拝啓
  
   このたび、政府と国民の協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦 の方へのわが国の国民的な償いが行われることに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
   いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として幾多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
   我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感いしつつ、おわびと反省の気持ちをを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
   末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなるよう、心からお祈りしております。
                     平成八(1996)年
              日本国内閣総理大臣  橋本龍太郎
           (歴代署名:小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)

大沼保昭著 聞き手 江川紹子 「歴史認識」とは何か 中央公論新社刊 記載より
     

2017年1月9日月曜日

憲法施行70年 改憲は改正か改悪か 安倍自民党改正草案 その1

  今年は現憲法が施行されてから70年になる。すなわちこの年に生まれた我々が古希を迎えるということになる。「団塊の世代と言われる世代の先頭」でもある。余談だが、この「団塊の世代」は堺屋太一の造語だそうだが、私自身はこの一括りには、当てはまらない人生を過ごしてきたと、自戒と自負の入り混じった思いもある。この年寄に何ができるか?たぶん何もできない。


  憲法学者の長谷部恭男早稲田大学教授:「立憲主義に生きる経験は僥倖である」(朝日新聞)と言っています。
(注:僥倖=予想もしなかった幸運の意)将棋の藤井聡太君がインタビューでこの言葉を使っていたのには驚きました。

   およそ凡夫の私のこれまでの人生を振り返ってみれば、現憲法下でただただ大量生産・大量消費のレールの上で一生懸命働いてきたことも事実である。今は労働時間は何時間まで、過労死の問題等々、隔世の感があります。さらにこの平和憲法のもと、「戦争を知らない子供たち」と言われ、今日まで軍隊と言う名の組織の一発の銃声を聞くことなく、生きて来られたのは『僥倖』と言えるかもしれない。そして、まずこの歴然たる事実をしっかり認識すべきであろうと考えています。

  言うまでもないが、当時は連合軍(米軍)占領下にあったが、現憲法が出来るまでに、先人たちが「平和国家」という文言を導くまで、試行錯誤していたことが、報道されていました。幣原喜重郎も9条の文言は、日本側から提案されたとインタビューに答えています。このこと一つをとっても、たとえ占領下であっても、彼ら(マッカサー)の言い分を唯諾々と受け入れただけだはないことが垣間見られます。また昭和天皇ご自身もGHQ草案をみて「いいじゃないか」と発言されていた旨のメモが出た来た。(朝日新聞)そして、当時の多くの国民がこれを喜んで受け入れたこともまた事実であろう。でなければ、70年も続かないだろう。決して、押しつけ憲法言われるようなものではない。

  21世紀の世界が渇望する世界平和を70年も前にこの国は、反省も踏まえてその理想を世界に宣言した、誉れ高き憲法である。正し、憲法とて不磨の大典ではないでしょうから、必要とあらば憲法の規定に則り改正(あくまで改正であって改悪ではない)するのはあってもよいとは思います。それには今改正議論を始めても、10年以上の歳月は必要ではないだろうか?それだけかけないと、今の憲法の理念を上回る、(為政者の暴走を防ぐための)素晴らしい文言を誰が言えるのであろうか?あるいは10年たっても出て来ないかもしれない。ならば、そのままでいい。

2017年1月4日水曜日

日本史 革命 北条泰時 武士 天皇 

「日本史のなぞ」大沢真幸著 朝日新書


帯に「信長でもない、 龍馬でもない 日本の歴史上ただ一人に革命家とは誰か?」とあります。

革命家はただ一人、承久の変、御成敗式目の北条泰時のことです。その後徳川幕府がほろびるまで武家政治の真の体制を作った人物ということです。

東の革命 /  西の革命 と東洋(中国・日本)と西洋のとの比較

天皇なき天皇制(天皇という謎)

鎌倉幕府➡将軍:執権 室町幕府➡将軍:三管領四識
江戸幕府➡将軍:老中(大老)

明治政府➡天皇:元老 戦後は➡政府:元老役はアメリカ

今年は、天皇の生前退位が問題として取り上げられます。
今の憲法と絡んでというか、憲法に明記されている天皇の存在をどうとらえるのか?参考になる一冊かと思います。さて、安倍政権は???