2017年7月25日火曜日

マスコミ ネット社会 世論と輿論の違い

『戦時動員された与論、すなわち「ヨロンと読まれる世論」を、いかにして討議可能な輿論に復員するか』佐藤卓己

 輿論と世論(ヨロンとセロン)がよくごちゃごちゃにされる。輿論はパブリック・オピニオン。人々の討議を経て形成される市民の意見で、世論はポピュラー・センチメツ、つまり大衆の間に醸しだされる感情。世間の気分を映しだす「世論調査」が輿論へとすり替わっていないかと、メディア史研究家は問い、輿論の復権を説く。「輿論と世論」から
鷲田 清一の「折々のことば」より(朝日新聞 7/20付)

 ヘイトスピーチ、罵詈雑言、意見の多様性を認めないネトウヨ、それにも増して、余りにも信用できない政治家の発言などなど、この世は不信をばらまくのに不都合のないほど通信がこれでもかと発達してきている。勿論、反対に上手に使えばこれほど便利なもんはないほどまでに発達している。

こうした中、世論調査なるものが幅を利かせている現在です。支持率何%の一喜一憂している政治家集団。しかもそれが全てであって、それも次の選挙に有利か不利かの判断材料にしか使わない。確かに、全体の空気、感情も大切です。それが大多数なんですから。

 国会について言えば、とても熟議の場とは程遠く、安倍政権の閣僚及び各省の官僚の答弁のはぐらかしには辟易とされている。こうした低レベルの国会のあり方を正すためにも「輿論」の場として、こうしたネット社会が上手く機能することは大切なことだと思います。それが政治を司る人たちへのプレッシャーになるはずと思います。

 戦前、東洋経済の石橋湛山も同じ様に、輿論と世論の違いを述べています。戦後70年を過ぎても、未だに輿論が成熟できていない。悲しいことです。国民にとっていい政治(政治家)を生み出していく為にも、輿論が構築できる社会になってほしいですね。