2016年6月30日木曜日

「政治家のやるべきこと」


朝日新聞6月28日付けより引用します。

故梶山静六「破壊と創造」(講談社)より

『いま政治家にとって重要なのは、まず日本という経済国家の実態がいかに危機的であり、このまま二十一世紀に突入すれば、国際社会のなかでどうなっていくか、という本音をあますところなく語ることだ。そのうえで、ときには国中に我慢を求め、こうしなければならにという全体像を示して信任を仰がねばならない。いささか技術論にも似た各論における「政策論争」等は、政治家のやるべき本質的な仕事とは思えない』

この警告からおよそ30年、果たして現状はどうなっているだろう。私には劣化しているとしか思えない。

かつて、梶山氏が総裁選で敗れたとき、その周辺にいたのは、菅官房長官・麻生副総理といった今の安倍政権の中枢中の中枢にいる御仁たちです。

また、ドイツのトーマス・マンの言葉に
「政治を軽蔑するものは、軽蔑する政治しか持つことしかできない』ということだそうです。

2016年6月28日火曜日

「会話」と「対話」

「会話」(カンバセーション):親しい人間同士での話し合い

「対話」(ダイアローゲ):異なる価値観などを、すり合わせる話し合い

田中角栄も野田佳彦も安倍晋三も、他の総理の多くが対話をしていない。

対話より効率優先できたこの国、「富国強兵」・「戦後復興」・「所得倍増」・「復興五輪」・アベノミクス」などなど・・・・

こうして先進工業化してきたこの国ですが、これだけ多様性が叫ばれ、その流れにあがなえないのが事実であれば、その行く先はファシズムであり、超国家主義かもしれない。

その危険性が、自民党改憲草案に見てとれるのは、私だけでしょうか?

なお、シンガポールで開催されている、シャングリラ・ダイアローグをシャングリラ会議と訳するメディアでいいのだろうか?

「負を分かち合う」の時代にいるという危機感なしに政治を行ってはいけないのでは?
  (平田オリザ氏の意見参照・朝日新聞 2012・7・5付けより)


2016年6月27日月曜日

世論と輿論の違いは? SNS 

「世論」と「輿論」

二つの漢字は「世論」(セロン)と輿論(ヨロン)と読むほうが、正確なのだと思います。

「世論」は、感情に突き動かされる一時的な反応 

「輿論」は、理性によって漉された定着性ある意見

と、かなり内容が違うようです。マスメディアの世論調査は、その時々の世論であって、参考にはなりますが、決してすべてではないということです。

恣意的・誘導的に出されているとしか思えない、大手新聞社の世論調査があります。これら世論調査を全面的に否定するつもりはありませんが、付和雷同という言葉があるように、我々には輿論を形成する素地がまだまだないようですね。折角、こうしたSNSが発達しているのですから、冷静に議論できるといいですね。

目先の利益にばかりとらわれて、大局を見失っているのが今の日本ではないでしょうか。その代表が政治家、とりわけ安倍政権だとしたら、将来を担う次世代にとっては、これほど不幸なことはありません。

2016年6月24日金曜日

「湛山読本」船橋洋一 東洋経済新報社

総理務めた石橋湛山の膨大な論文の中から、船橋洋一氏が意見・解説を書いた書です。
本書は、政治家石橋湛山時代はふれていません。
戦前の言論統制が厳しかった、暗黒のこの国にあって、湛山が真っ向から疑問を世に問うた論文です。

「メディアの萎縮」が言われています。とりわけ、最も国民に身近なはずテレビの世界にそれがはっきり見て取れます。

政治的圧力をかいくぐり、堂々と自説を世に問うた石橋湛山の重厚な文章です。

2016年6月23日木曜日

「アベノミクスを外国人が見ると」  破綻・行方不明


6月21日付けの朝日新聞のオピニオン&フォーラム欄

ジム・ロジャーズ氏(著名な投資家);-
「アベノミクスは常軌を逸したようにお金を刷り続け円の価値をわずかな期間で3割りも下落させた。・・・・自国通貨の価値を下げたり、インフレを起こそうとする手段で成功した国は過去にどこにもありません。・・・阿部首相は日本を破綻に追い込んでいる。」云々

ジェームズ・シムズ氏(ジャーナリスト);-
「アベノミクス第3の矢は、行方不明です。GPIFは「官製相場」であり、金融緩和を辞めるときは大きな足かせになる・・・」云々

詳しくは、是非当該新聞をご一読あれ。

2016年6月21日火曜日

「参院選公示」 投票は党で選ぼう

明日です。世論をリードするメディアでも、党で選べなければ、人物本位でといいます。
しかし、これではいつまでたっても政党政治は成熟しません。

どんなに選挙戦で人格的なことを言っても、いざ議員になると、党議拘束がある現在は、その人格は無視されます。先の、安保法案の経緯を見れば一目瞭然です。

さらにもう一つ、「官製政党」をいつまでも続けるとこの国はとても真の先進国にはなれません。
「官製政党」とは、政党助成金の存在です。政党の支持者から献金を集める努力もなしに、政治活動資金が簡単に入手できる。これでは、多くの政治家が舛添都知事(今日まで)がやっていたと同じようなことが、永田町に蔓延っているのでしょう。

アベ政治を許すのなら、自公へ投票すればいいし、どうしても憲法の改憲問題・アベノミクスに疑義があるのなら、どんなに地元のつながりがあろうとも、迷わず野党候補に一票投ずるべきです。それが、政党政治です。

2016年6月20日月曜日

ずしりと重い「沖縄・元米兵事件抗議集会での言葉」


若者代表で涙ながらに訴えた、玉城愛さんの言葉;

「安倍晋三さん、日本本土にお住まいの皆さん、今回の事件の第二の加害者は、
誰ですか?あなたたちです。しっかり沖縄に向き合っていただけませんか」

沖縄の言葉で「肝苦さ」という言葉があるそうです。(チミグリサ~と言うんだそうです。他人の心の痛みを自分のものとして感じる、悲しさや、やり切れなさ、自責の念が入った感情のことだそうです。

どう考えても、沖縄の現状は理不尽です。ただ観光にいくだけでなく、もっと沖縄の歴史を学んで、沖縄に人に信用してもらえるようにしなければ・・・・

2016年6月17日金曜日

「総括」できない日本人


舛添知事の首をとっただけで、一件落着?「政治と金」否「政治屋と金」・政治資金規正・斡旋利得の問題、どれもこれで幕引きでは、この国の政治はよくならない?

先の敗戦についても、日本人は「総括」できていない?ただ、謝ればいいだけでもなく、しっかり総括してこそ、「美しい国」?になれるのでは。

政治屋にできないなら、マスコミがしっかり「権力の監視役」として、追い続けることです。
「パナマ文書」の追跡報道のように、しっかりとマスコミの役目を果たしてほしい。

「メディアの萎縮」なんて言われている場合ではありません。

2016年6月15日水曜日

「政治家」

舛添都知事が辞任。

都民をはじめ、全国的に総スカンを食った形である。
それにしても、政治家の資質を問われる、舛添問題・甘利問題である。

気になる発言:都議会総務委員会での公明党の質問のなかに、「復興五輪」に差しさわりがある云々。2020年東京五輪が「復興五輪」?「復興足引っ張り五輪」ではないか?と都民でない者には思われる。特に被災者は本当に「復興五輪」と思っているのであろうか?

気になる発言:自民党の平沢議員「舛添ではなく、巻き添えだ」とのことばには呆れる。
まるで他人事だ。知事を推薦し責任はどう考えているのか?

気になる発言:記者団に舛添問題を問われた安倍総理は「お疲れさま」の一言。

目先の選挙しか考えたていないのは「政治屋」

国の将来を真剣に考えるのが「政治家」



2016年6月13日月曜日

「新しい判断」


安倍総理の記者会見での迷言である。

「綸言汗の如し」という名言があります。 安倍総理の一昨年の言葉が、論語にあるように些細のことばでもない。国の政策方針を語った、重要な発言で、「断言」した。

それを無視して「新しい判断」と片付けられたら、国民はたまったものではない。少なくとも、アベノミクスがどう成功してどう成功していないのか、説明なりが必要である。既に3年経過して、アベノミクスのエンジンをさらにふかすと言う。エンジンの空ぶかしは害こそれ、役には立たない。

「新しい判断」ができるのは、安倍総理ではなく、有権者のほうである。

2016年6月9日木曜日

「西伊豆 堂ヶ島」


久しぶりの旅行でした。山猿の我々には、とても素敵な宿からのながめでした。

「この国も”エスタブりッシュメント”の崩壊」


連日、東京都知事の「不適切だが適法」のニュースで、庶民の溜飲をさげている?

米国では、クリントン女史対トランプ不動産王の対決は、そうとう不人気の対決とか。

2020東京オリンッピクがらみで、与党が時間とにらめっこ?

そもそも、ほとんど嘘から始まった2020東京五輪を開催することに大儀がるのか?

それより、これだけ金まみれとしかいいようのない五輪の開催そのものに異議がるのか?

その役割はもう終わったのではと思う今日この頃です。

2016年6月7日火曜日

「策士,策に溺れる」

安倍総理の伊勢志摩サミットでの現在の世界経済「情勢認識の不確実なデータ」でアベノミクスの不確実さを隠そうとしたように策を弄したこと

舛添都知事の常識ではありえない「第三者」(否、代理人)への依頼

評価は選挙で示すしかない。




2016年6月6日月曜日

「李下に冠をたださず」が真っ先に頭に浮かびました。

舛添都知事の調査報告会見を見てのことです。

おそらく、舛添氏の頭の中には、こんなことぐらい誰でもやっているとの思いがあったのおでしょう。実際、そう思います。

さて、甘利さんが活動再開するそうですが、果たして

政治を志す人は、もう一度「論語」それも入門編くらいはよんだほうが・・・

2016年6月2日木曜日

やはり変?

論語に「巧言令色 鮮矣仁」とあります。

あれだけ断定的に「再度の延期は絶対にない。断言します」とまで言い切った安倍総理です。
それを「新しい判断」との一言で、公約を反故にする。これでは、政治家の信頼度か増すとはおもえません。

経済政策は、誰にでも満足が得られる政策というのは無いに等しいはずです。これだけ複雑に利害関係が入り組んでしまっている現在、政府の政策の恩恵を受ける人、受けない人がある。

アベノミクスは、当初トリクルダウンという言葉を使って、大企業にとって都合のいい政策だったと思う。金融緩和・財政出動・構造改革を進めて、経済の好循環を生むことを目論んだはずです。その手段としてトリクルダウンという言葉を使っていたはずだ。それが、経済の好循環が大事と言うだけになった。手段を誤ったということだろう。

確かに、株価は上がり、恩恵を受けた一部の人もいた。また、日銀の超低利政策で円安が進行し、海外取引のある大手企業はそれこそ濡れ手に粟で、莫大な不労所得を得た。当然、税収も上がったのは当たり前である。

しかし、GDPの約6割を占める、消費は一向に上向かない。それも当たり前で、円安が進めば、輸入物価が上がり、原材料のほとんどにその影響が出る。じわじわと物の値段が上がっている。庶民は生活防衛で、一円でも安いものを求める。どうやっても消費の数字は上がらない?

また、雇用が増えたと安倍総理。確かに有効求人は増えた。しかしそれは、医療/福祉・情報などある意味、自然増であろう。他に増えたのは、非雇用と人口減からくる正規雇用があったのかもしれない。こんな雇用形態で消費が増えるはずがない。庶民は多かれ少なかれ、将来に不安を持っている。あるコメンテーターは「あまりマイナス思考になるのは、かえって良くない」確かにそうだ。しかし、それを庶民に求めるのは、筋違いというものだ。経済政策、すなわち経世済民であるからして、それこそ、その不安を消す責任は政治を司っている政治家にある。

名のある経済学者さんは、「経済成長」が絶対に必要というが、果たして、どれくらいの成長カーブを頭に描いているのだろうか?物があふれている現在、何が成長をもたらすのであろう?もう一度足元から考え直す必要があるのではないか?

18世紀の哲学者であるカントの書に「永遠平和のために」というなかに、
「行動派を自称する政治家は、過ち犯して国民を絶望の淵に追いやっても、責任は転嫁する」とあります。(集英社発行 池内 紀訳より)是非、ご一読をお勧めします。

2016年6月1日水曜日

初めまして

初めてのブログです。

この歳になると、やたら世の中の事が、正常にまわっていると思えない場面が多い気がしています。特に、今の政治状況は、正直目を覆わんばかりと言っても過言ではありません。

総理をはじめ、あまりに言行不一致としか言いようのないのではないでしょうか?

「屁理屈も総理が言えば はっはぁ~」の空気が支配しているのが、今の自民党ではないか?かつては、これだけの状況になれば、必ずと言っていいくらい、反主流はというべき人が出てきて、現状にsトップをかけたはずです。 それが、多様な人材を持つと豪語してきた自民党だったはずです。

とまあ、これから憂人として、いろいろ暇に任せて書きたいと思っていますので、どうぞよろしく!

憂人