2016年6月28日火曜日

「会話」と「対話」

「会話」(カンバセーション):親しい人間同士での話し合い

「対話」(ダイアローゲ):異なる価値観などを、すり合わせる話し合い

田中角栄も野田佳彦も安倍晋三も、他の総理の多くが対話をしていない。

対話より効率優先できたこの国、「富国強兵」・「戦後復興」・「所得倍増」・「復興五輪」・アベノミクス」などなど・・・・

こうして先進工業化してきたこの国ですが、これだけ多様性が叫ばれ、その流れにあがなえないのが事実であれば、その行く先はファシズムであり、超国家主義かもしれない。

その危険性が、自民党改憲草案に見てとれるのは、私だけでしょうか?

なお、シンガポールで開催されている、シャングリラ・ダイアローグをシャングリラ会議と訳するメディアでいいのだろうか?

「負を分かち合う」の時代にいるという危機感なしに政治を行ってはいけないのでは?
  (平田オリザ氏の意見参照・朝日新聞 2012・7・5付けより)


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