2020年5月13日水曜日


            井波 律子 「論語入門」岩波新書

『過則勿憚改』 (過ちを改むるに憚るころなかれ)

どなたも知っている、有名な孔子の言葉です。
この言葉の前に、何が書かれているか?

『君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。』

君子(ひとかどの者・権力の座にある者)は、重々しくなければ威厳がない。学問をすれば、頑固でなくなる。真心と誠実さを主とし、自分より劣る者を友人にするな。過ちをおかしたならば、ためらわずに改めよ。
孔子は、45歳も年下の弟子の言葉の対し、自分が誤った返事をしたことに気づき、「前言戯言之耳」と謝ったそうです。

人間は誤りを犯すものです。「責任はある」と言いながら、全然取らない。「こちらから言わせれば、国民の皆さんが誤解している」と言って、反省の弁なし。こんな人たちが国のトップでいる国はどうなんでしょうか?

自粛の最中、論語の入門書を読み直してみています。

2020年5月10日日曜日

    後藤新平「国難来」鈴木一策=編・解説 (藤原書店)を読む。

関東大震災の後、東北帝国大学生を前に、第一次世界大戦のあとの、ベルサイユ条約の内容をみて、「第二次世界大戦を直観した」と講演したものを現代語訳で収録し、編者の解説付き書です。大震災後、後藤新平は、内務大臣・復興院総裁になり、その帝都復興計画の原案作りを東大教授本多静六(後に、「公園の父」と称される)に命じます。彼は二晩徹夜して計画書案を作りますが、大蔵省、帝国議会に反対され、縮減を余儀なくされます。実行された、隅田・浜町・金糸町の公園は、その後のアメリカ軍の空襲に際し、避難場所として大いに役立ったとのこと。

後藤は、本多に「実は、この場合誰がやっても同じさ、完全なものはできやしない。いい加減でいいんだ、いい加減で・・・・ただし、思い切ってでかいことをやらなければいけない」と言ったそうです。俺が責任持つからということだと思います。

本多静六は、これに先立つこと、東京駅などで著名な辰野金吾から丸投げされて、日比谷公園の設計をします。日本初の洋風公園ですが、東京市会には「夜間木や花が盗まれる」と反対されますが、「盗まれないくらいに国民の公徳が進まねば、日本は亡国だ。公園は一面その公徳心を養う教育機関の一つになるのだ」
彼は、投資家でもあり、莫大な資産を形成しますが、定年退官後(昭和27年)にほぼ全財産を匿名で寄付します。

後藤新平は、臨終間際「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」と述べたようです。

危機と復興への想像力、人に大事を任せ、人を動かす信念と言葉、そして泰然自若として目標に向かう努力、こうした人物を今の政界・財界に探すのは至難の業?




2020年5月6日水曜日

        【辛抱】と【我慢」の違いを考える

【辛抱】:環境の苦しさに押し流されないで、向上心をもち続けること。

我慢】:➀我(が)を立てる気持ちが強すぎ、自ら高しとする念が常に全面に出る意⇒⇒⇒⇒⇒自慢. 
     ➁少しくらい自説に無理があると分かっていても、意地で主張を通す様子。
     ③精神的・肉体的に苦しい事があっても意地で凌ぎ通し、弱音などは吐かない

新明解国語辞典には、以上のような解釈がなされています。

「我慢」は仏教の言葉です。ナーガールジュナ(龍樹)に始まる、大乗仏教の大事な教えの中に唯識論があります。興福寺・薬師寺などの法相宗が大切な教えとしています。
「世界は心の表象である」とし、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識+意識)この意識の奥に「未那識」があり、これが執着の源泉であり、更に倉庫の様に「阿頼耶識」がある。これらが蓄積され残滓⇒「薫習」タネとなりにおいがうつると言うことのようです。自我が執着し、未那識の歪んだ認識(我癡・我見・我慢・我受)これらの識を「智」へということのようです。
この中に出てくる「我慢」は;いつでも自分があると思い続けること⇒執着

この様に、我慢と辛抱はかなり違うと思いませんか。辛抱には向上心がありますが、我慢には、前向きな意味は無い様に想います。

今、世界は新型コロナウイルス禍の最中にあります。どのマスコミでも、我慢を使って、自粛(これは辛抱を求めている?)を言っています。

漢字(表意文字)は見てすぐその意味が分かる利点があります、我慢・自慢・怠慢・緩慢などなど、余りいい意味の熟語がないようです。

言葉は時代とともに、変化していきます。それが正反対の意味になっているケースも誤用されているケースも多々あります。

「家にいて辛抱しよう!」これが、今の新型コロナウイルス禍に対処する言葉ではありませんかね。