2020年5月10日日曜日

    後藤新平「国難来」鈴木一策=編・解説 (藤原書店)を読む。

関東大震災の後、東北帝国大学生を前に、第一次世界大戦のあとの、ベルサイユ条約の内容をみて、「第二次世界大戦を直観した」と講演したものを現代語訳で収録し、編者の解説付き書です。大震災後、後藤新平は、内務大臣・復興院総裁になり、その帝都復興計画の原案作りを東大教授本多静六(後に、「公園の父」と称される)に命じます。彼は二晩徹夜して計画書案を作りますが、大蔵省、帝国議会に反対され、縮減を余儀なくされます。実行された、隅田・浜町・金糸町の公園は、その後のアメリカ軍の空襲に際し、避難場所として大いに役立ったとのこと。

後藤は、本多に「実は、この場合誰がやっても同じさ、完全なものはできやしない。いい加減でいいんだ、いい加減で・・・・ただし、思い切ってでかいことをやらなければいけない」と言ったそうです。俺が責任持つからということだと思います。

本多静六は、これに先立つこと、東京駅などで著名な辰野金吾から丸投げされて、日比谷公園の設計をします。日本初の洋風公園ですが、東京市会には「夜間木や花が盗まれる」と反対されますが、「盗まれないくらいに国民の公徳が進まねば、日本は亡国だ。公園は一面その公徳心を養う教育機関の一つになるのだ」
彼は、投資家でもあり、莫大な資産を形成しますが、定年退官後(昭和27年)にほぼ全財産を匿名で寄付します。

後藤新平は、臨終間際「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」と述べたようです。

危機と復興への想像力、人に大事を任せ、人を動かす信念と言葉、そして泰然自若として目標に向かう努力、こうした人物を今の政界・財界に探すのは至難の業?




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