2017年4月19日水曜日

憲法施行70年 平和ボケ 戦争ボケ 日本語 ③ 

「日本語の難しさ」
  最近、「平和ボケ」、「戦争ボケ」と言う言葉を、SNSなどでよく目にします。
 「平和ボケ」は、政治をはじめとする世情の変化に無関心で、「今ある危機?」にも鈍感な市民にことを指しているのでしょうか?
  この「平和ボケ」は「戦争ボケ」の相対語でしょうか?私はそうは思いません。「平和ボケ」には、無関心であっても、その恩恵に浴している現実の世界にいる限り、それは十分立派な「平和ボケ」人であると思います。

  一方、「戦争ボケ」は相対語ではないと思う理由は、この言葉は正しくは「戦争忘ボケ」と「忘れた」を入れることで、その輪郭がはっきりするのではないでしょうか?「美しい国」とか「世界の中心で輝く国」とか何かと威勢のいい言葉を使って国民を「戦争忘ボケ」の状態にしておく事が、「積極的平和主義」とか言って、軍事力を強化している安倍政権の考えなんだと思います。ですから、「平和ボケ」は逆に安倍政権にとっては好ましくない国民、邪魔な国民のことを言う意味で、立派な存在ではないでしょうか?

  アメリカをはじめ何かと武力がないと平和が維持できないと思い込んでいる、所謂好戦国(交戦国ではない)は「戦争ボケ」しているのかも知れません。「力」が平和をもたらすと国の指導者が言っていますから。これは私から見れば戦争があって当たり前と言っているに等しいのですから、彼等は「戦争ボケ」でしょう。

  今の憲法が施行されて今年の憲法記念日は70年になります。同じ年に生まれた私にはこの年月は(日本が直接戦争に関わらなかったという意味で)平和な年月だった。即ち、この平和が当たり前、日本は戦争には加担しないということが、憲法に明記してあることで権力者に課せられていると、余り意識などしないでも自然とそう思ってきました。
  ですから、私は偉大な?「平和ボケ」老人でいればいいと思っています。そして、この「平和ボケ」が世界に広がればいいとも思っています。「戦争ボケ」からは破壊と死人しか作り出しません。怖いことです。















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