森田健司著 「明治時代という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府の実像」洋泉社
今年は大政奉還150年で、来年は明治以来150年の節目になります。安倍政権はなんか祝賀を企画しているようですが、異を唱えたい。
安倍晋三総理は、吉田松陰を尊敬していて、松陰の辞世の句;
「身はたとひ 武蔵に野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
安倍総理は、「ここに込められた気概には圧倒される」と言っています。そこで、この句を、誰もが忌まわしい存在と思っている「イスラム国」の人たちに置き換えてみると、
「身はたとひ アラブの砂漠に 朽ちぬとも 留め置かしまし イスラム魂」
このように読み替えても違和感がありません。なぜなら、両者に共通するのはテロリストだからです。自分の意に沿わない敵は武力をもって倒す。これがテロです。
しかし、多くの日本人が吉田松陰を尊敬していると言います。例えば、同じ長州出身の日本共産党の宮本顕治氏もその一人だそうです。更に、日本共産党を代表する野坂参加三・志賀義雄も長州出身である。今もって、「長州右派」対「長州左派」の対決構図が続いている?
吉田松陰は、老中間部詮勝の暗殺を松下村塾の弟子たち(高杉晋作・伊藤博文・品川弥次郎ら)と画策したことで、時の法度に反した罪で刑死した人物です。勿論、啓蒙思想家ともいえる学者であり、その言語が人々の心に影響を与えたことも事実でしょう。しかし、彼の門下生たちが、その後、高杉晋作らは建設中の英国公使館焼き討ち、伊藤博文らは橘次郎暗殺等々、明治に至るまでの歴史に残る著名人の多くはテロに関わっている。そして、彼らは攘夷が正義とばかりに下関戦争で大敗を喫す。この事件が江戸政権には条約交渉の重しとなっていく。後に不平等条約と言われるのは、こうした、偏向した攘夷思想の長州藩や薩摩藩の中途半端な軽挙妄動連中の「付け」であり、決して江戸政権の交渉力のなさからだけではなく、寧ろ、交渉に当た江戸政権の役人たちは結構頑張った。
今、安倍政権は「テロ等準備罪」即ち「共謀罪」法案を成立させようとしています。これがないと、東京五輪も開けないと、まことしやかに喧伝しています。孝明天皇を拉致しようと禁門の変で当時の首都京都市内を騒乱状態にした久坂玄瑞もいました。安倍総理はテロを起こし、暗殺を繰り返した人物を尊敬しながら、「共謀罪」を実しやかに成立させようとする。テロリストを尊敬すると言う人に「共謀罪」はできないでしょう。
この民主主義の憲法を持つ今の時代に、先の敗戦の総括もなしに、明治維新を祝う必要性はない。日本の長い歴史のなかでは、寧ろ異質な明治からの半分の75年を検証し、総括するほうが遥かにこの国の将来のためになる。
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