「小中学校の施設経営監督は地方自治体に委せよ。大学への国庫補助金は必要かもしれぬ。だが学長選挙も内部行政も文部省の手を煩わせず大学に自治の精神を発揮させよ。官立大学の特典を廃止し私立大学と自由に競争させ学術の発達進歩を計れ。文部省は一国にとりて必ずしも必要欠くべからず機関にあらず。」 表題は 『文部省ヲ廃止スルコト』 だそうです。(朝日新聞「日曜に想う」欄から引用)
これは、百年前、なんと高橋是清の提言であるそうだ。高橋是清と言えば、国際金融政治家であり、大蔵大臣・総理大臣を務め、2.26事件の犠牲になったことでは、広く知られている。
この高橋是清が、自由主義がもたらす恩恵を信じ、官僚主義や軍国主義と闘った政党政治家であることは意外と知られていないのかも知れません。
このコラムは、次の様に結んでいます。
なぜ今この国において、科学でも文化でも体育でもなく、文教事務を国家が統括する「文部」を頭に冠した役所が存在する必然性があるのか。
責任を負うべきところで身をかわし、自由に任せるべきところで管理を持ち出し、特権を慎むべきところで守ろうとする。そうしたちぐはぐな行動様式を改めない限り、その必然性を感じさせることは難しい。百年たっても、「必要欠くべからざる機関」であることの挙証責任は他でもない、文部官僚たちにある。
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