柳宗悦が26歳の時、バーナード・リーチに書いた手紙:
「真実、神、我々の故郷、われわれのエルサレムは、この現世の生活の中でわれわれが戻っていてゆき、そこに向かって巡礼するところですが、その故郷への道は、個人の気質(性格・内的原因)とその環境(外的原因)によってかなり異なります。明らかに、ここには我々が考えるべき二つの点があります。一つは、我々が登ろうと目指している頂きは普遍的な「一つ」のもだということ、もう一点は、その頂きに至る道程は「多数」であるといことです。
山の頂は一つです。しかし、頂上に至る道は複数存在します。ある人は東側からのぼり、ある人は西側からのぼります。急斜面をのぼる人もいれば、回り道をしながらゆっくりのぼる人もいます。しかし、最後は同じ頂上にたどり着きます。
柳は「真理」と「宗教」の関係を、山登りたとえました。真理は普遍的に一つです。しかし、真理に至る道は複数存在します。この道の違いが宗教の違いであって、真理の違いではないのです。-キリスト教の道もあれば、仏教の道もある。イスラームの道も、ヒンドゥーの道もある。しかし、最後は唯一の真理にたどり着く。
岡倉天心の「不二一元論」と同じで、多一的認識こそ「アジアは一つ」の根拠だお言い「多即一、一即多」の原理を「東洋の理想」の土台に据えました。中島岳志著「アジア主義」より
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