この本の帯に⇒この本から「国連」や「憲法第9条」の理念が生まれた。とあります。
赤川次郎氏は、「真実のことばは時代を超えて人の心を打つ、カントは、戦争を「積極的平和」などと言い換えることを決して許さないだろう。とコメントを寄せています。
一文を紹介しますと「行動派を自称する政治家は、過ちを犯して国民を絶望の淵に追いやっても、責任は転嫁する」
世の中を分断することを厭わない政治家、自分の失政を認めない政治家、要注意ですね。
今こそ読みたい16歳からの平和論と、初心者向けですので、私のような者でも、理解出来た気がします。
2020年6月3日水曜日
2020年5月13日水曜日
井波 律子 「論語入門」岩波新書
『過則勿憚改』 (過ちを改むるに憚るころなかれ)
どなたも知っている、有名な孔子の言葉です。
この言葉の前に、何が書かれているか?
『君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。』
君子(ひとかどの者・権力の座にある者)は、重々しくなければ威厳がない。学問をすれば、頑固でなくなる。真心と誠実さを主とし、自分より劣る者を友人にするな。過ちをおかしたならば、ためらわずに改めよ。
孔子は、45歳も年下の弟子の言葉の対し、自分が誤った返事をしたことに気づき、「前言戯言之耳」と謝ったそうです。
人間は誤りを犯すものです。「責任はある」と言いながら、全然取らない。「こちらから言わせれば、国民の皆さんが誤解している」と言って、反省の弁なし。こんな人たちが国のトップでいる国はどうなんでしょうか?
自粛の最中、論語の入門書を読み直してみています。
2020年5月10日日曜日
後藤新平「国難来」鈴木一策=編・解説 (藤原書店)を読む。
関東大震災の後、東北帝国大学生を前に、第一次世界大戦のあとの、ベルサイユ条約の内容をみて、「第二次世界大戦を直観した」と講演したものを現代語訳で収録し、編者の解説付き書です。大震災後、後藤新平は、内務大臣・復興院総裁になり、その帝都復興計画の原案作りを東大教授本多静六(後に、「公園の父」と称される)に命じます。彼は二晩徹夜して計画書案を作りますが、大蔵省、帝国議会に反対され、縮減を余儀なくされます。実行された、隅田・浜町・金糸町の公園は、その後のアメリカ軍の空襲に際し、避難場所として大いに役立ったとのこと。
後藤は、本多に「実は、この場合誰がやっても同じさ、完全なものはできやしない。いい加減でいいんだ、いい加減で・・・・ただし、思い切ってでかいことをやらなければいけない」と言ったそうです。俺が責任持つからということだと思います。
本多静六は、これに先立つこと、東京駅などで著名な辰野金吾から丸投げされて、日比谷公園の設計をします。日本初の洋風公園ですが、東京市会には「夜間木や花が盗まれる」と反対されますが、「盗まれないくらいに国民の公徳が進まねば、日本は亡国だ。公園は一面その公徳心を養う教育機関の一つになるのだ」
彼は、投資家でもあり、莫大な資産を形成しますが、定年退官後(昭和27年)にほぼ全財産を匿名で寄付します。
後藤は、本多に「実は、この場合誰がやっても同じさ、完全なものはできやしない。いい加減でいいんだ、いい加減で・・・・ただし、思い切ってでかいことをやらなければいけない」と言ったそうです。俺が責任持つからということだと思います。
本多静六は、これに先立つこと、東京駅などで著名な辰野金吾から丸投げされて、日比谷公園の設計をします。日本初の洋風公園ですが、東京市会には「夜間木や花が盗まれる」と反対されますが、「盗まれないくらいに国民の公徳が進まねば、日本は亡国だ。公園は一面その公徳心を養う教育機関の一つになるのだ」
彼は、投資家でもあり、莫大な資産を形成しますが、定年退官後(昭和27年)にほぼ全財産を匿名で寄付します。
後藤新平は、臨終間際「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」と述べたようです。
危機と復興への想像力、人に大事を任せ、人を動かす信念と言葉、そして泰然自若として目標に向かう努力、こうした人物を今の政界・財界に探すのは至難の業?
危機と復興への想像力、人に大事を任せ、人を動かす信念と言葉、そして泰然自若として目標に向かう努力、こうした人物を今の政界・財界に探すのは至難の業?
2020年5月6日水曜日
【辛抱】と【我慢」の違いを考える
【辛抱】:環境の苦しさに押し流されないで、向上心をもち続けること。
【我慢】:➀我(が)を立てる気持ちが強すぎ、自ら高しとする念が常に全面に出る意⇒⇒⇒⇒⇒自慢.
➁少しくらい自説に無理があると分かっていても、意地で主張を通す様子。
③精神的・肉体的に苦しい事があっても意地で凌ぎ通し、弱音などは吐かない
新明解国語辞典には、以上のような解釈がなされています。
「我慢」は仏教の言葉です。ナーガールジュナ(龍樹)に始まる、大乗仏教の大事な教えの中に唯識論があります。興福寺・薬師寺などの法相宗が大切な教えとしています。
「世界は心の表象である」とし、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識+意識)この意識の奥に「未那識」があり、これが執着の源泉であり、更に倉庫の様に「阿頼耶識」がある。これらが蓄積され残滓⇒「薫習」タネとなりにおいがうつると言うことのようです。自我が執着し、未那識の歪んだ認識(我癡・我見・我慢・我受)これらの識を「智」へということのようです。
この中に出てくる「我慢」は;いつでも自分があると思い続けること⇒執着
この様に、我慢と辛抱はかなり違うと思いませんか。辛抱には向上心がありますが、我慢には、前向きな意味は無い様に想います。
今、世界は新型コロナウイルス禍の最中にあります。どのマスコミでも、我慢を使って、自粛(これは辛抱を求めている?)を言っています。
漢字(表意文字)は見てすぐその意味が分かる利点があります、我慢・自慢・怠慢・緩慢などなど、余りいい意味の熟語がないようです。
言葉は時代とともに、変化していきます。それが正反対の意味になっているケースも誤用されているケースも多々あります。
「家にいて辛抱しよう!」これが、今の新型コロナウイルス禍に対処する言葉ではありませんかね。
2020年4月15日水曜日
赤石読書会
地元に読書会が立ち上がる
文字離れ(書籍・新聞など)が顕著になり、SNSの普及により、簡単な文章でのやり取りで、世の中が動いている昨今、有志15人が集まり、読書会が発足しました。名付けて「赤石読書会」です。ここは、群馬県伊勢崎市ですが、嘗てここには赤石氏と言う藩主がいましたそうです。(私は市外からの者なので詳しく知りません)そこで、おこがましく、市全体の名を冠するより、地元中の地元にできた読書会なので、「赤石読書会」と名付けました。昨年の一月から活動を開始して、一年三か月が過ぎました。この間、会員の皆さん全ての方に、一冊の本を選んでもらって、その内容や感想を約一時間話してもらい、それを参加会員がいろいろと意見・感想を述べていきます。当該の本は、事前に読んでもよし、読まなくてもよしです。中には、読まないで来てほしいとの発表者もいます。
発表される本のジャンルは様々です、自作の小説、本の裏側、注目の人物の小説、宗教に関する書、などなど千差万別です。年齢層がやや高いかもしれませんが、若い人もいますので、バラエティ豊かになっています。
この4月が、新型コロナウイルス禍で、通常の例会ができません。たまたま、発表者が一巡したこともあって、4月は「昼食会」の中で、今後の方針などを話あってもらうつもりでしたが、「三密」避ける意味合いもあり、お弁当は持ち帰りランチなりました。
中止することは、簡単ですが、「自粛」が「委縮」になってはいけないとのおもいから、非常事態宣言の適応されている都府県でも、十分通用する「自粛」の範囲内での「特別例会」となります。
新型コロナウイルス禍の収束を願いつつ、読書会の良さを追求していきたいと考えています。
因みに、私が当会の会長に選ばれ他次第です。任期は2年です。
2017年11月7日火曜日
国際交流 ボランティア 多くの日本語に勉学者たち
大森和夫・弘子(国際交流研究所)編著「『日本』って、どんな国?」日本僑報社
内外で日本語を勉強している学生・社会人などの、「日本語作文コンクール」世界大会での、優秀作品を集めた書です。まず、こうした日本語教育に情熱を傾けておられる大森ご夫妻(国際交流研究所)に敬意を賛意を表します。
日本語を勉強しているくらいですから、日本に好意的であることはその通りです。でも、中にはしっかりと日本を観ている人もいます。ボランティアながら、同じく日本語教室で日本語を母語としていない人たちに接していると、こうした書はとても参考になります。
日本の学校では、英語英語と草木もなびくような空気ですが、今では300万人以上ものひとが日本語を勉強し日本に興味を持っています。日本に観光でお見えになる外国人も大幅に増えました。
素敵な日本語の作文を通して、日本を見直すこともいいかなと思います。
内外で日本語を勉強している学生・社会人などの、「日本語作文コンクール」世界大会での、優秀作品を集めた書です。まず、こうした日本語教育に情熱を傾けておられる大森ご夫妻(国際交流研究所)に敬意を賛意を表します。
日本語を勉強しているくらいですから、日本に好意的であることはその通りです。でも、中にはしっかりと日本を観ている人もいます。ボランティアながら、同じく日本語教室で日本語を母語としていない人たちに接していると、こうした書はとても参考になります。
日本の学校では、英語英語と草木もなびくような空気ですが、今では300万人以上ものひとが日本語を勉強し日本に興味を持っています。日本に観光でお見えになる外国人も大幅に増えました。
素敵な日本語の作文を通して、日本を見直すこともいいかなと思います。
2017年10月14日土曜日
来年の明治150年を考える 戦前80年 戦後70年 隔たり
須田努著「吉田松陰の時代」岩波書店
安倍政権は、来年の明治150年を大々的に行事をやるようです。「実現された近代化政策として、立憲政治、議会政治に導入、国際社会への対応、技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立など女性を含めた教育に充実等々・・・」が揚げられ、これらを達成した「明治の若者や女性、外国人などの活躍を改めて評価」し。明治期の文化活動にもふれ、「日本の強みを再認識し、今後の更なる発展を目指すきっかけとなる」政策を推進するとある。そうです。(ホームページ 首相官邸 会議等)
これは歴史認識に問題である。内線の中から明治と言う時代が生まれ、対外戦争は繰り返され、経済格差は拡大され、琉球・沖縄を「植民なき植民地」であったと著者は述べています。この行事には、これらの事実が語ろうとしていない。
この書は、松陰の足跡や資料を丁寧にたどり、松陰をして「おっちょこちょい」な青年、思想家・革命家と「上書きされた」人と捉え、彼を「時勢の人」と見る。
西郷隆盛が主張したとされる所謂「征韓論」も、この吉田松陰の「挑戦侵攻論」など、即ち「富国強兵」論があった。と記しています。
時の、為政者が自分の「都合のいいとこ取り」をします。安倍政権の明治150年の行事はまさにその感があります。
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