先ごろ、薬師寺の管主になられた村上太胤師の法話を聞く機会があり、その帰りの、師の管主晋山記念出版の新刊書「仏法の種まき」(講談社)をサイン入りで手にしました。大変わかりやく、謂わば仏教の入門書と言ってもいいかも知れません。
その中の一節を引用させてもらいます・
「中学へ弁当を持っていくときも、おかずはタクアンだけでした。高田好胤師は「お前らはまだマシだ。わたしのときは塩をかけていたんだ」とおっしゃっていました。(中略)
ある日、隣にいた友達が、「お前、何を食べているんだ?」といって、私の弁当箱のふたをヒョイと取ってしまたのです。「なんだ、おかずが何も入ってないじゃないか」と皆の前ていわれてしまったのです。顔から火がでるほど恥ずかしい思いをしました。いまでしたら、それはイジメになるかもしれませんが。そのときは「明日から学校へ行くのをやめよう」とはおもいませんでした。寺で師匠に怒られるより、学校に行っているほうがはるかに楽しかったから、私は学校を一日もやすんだことがありません。
次の日も弁当を持って学校へ行くと、隣の女生徒が「村上さん、お弁当のふたを貸して」というのです。(中略)すると、その子は自分のおかずをふたの載せてわけてくれたのです。嬉しかったですよ。それから三日ほどすると、弁当の時間に私の弁当箱のふたがグルグルとクラス中をまわり、皆がそれぞれのおかずをいれてくれるのです。後略。
戦後の誰もが貧しかった時代とは今は違うかもしれません。しかし、6人に1人が貧困と言われる今です。実は、内情は当時より格差が広がってもっと深刻なのかもしれませんね。
ちょっとしたことで、いじめどころか、人と人の絆ができます。いじめとは紙一重なんでしょうね。
奈良の大寺の管主さんが、長年、遠く群馬まで出向き法話をしてくださる。これを支えている「高崎薬師寺会」の皆さんにも感謝です。
来年も、12月10日にお越しいただけるそうです。
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