論語に「巧言令色 鮮矣仁」とあります。
あれだけ断定的に「再度の延期は絶対にない。断言します」とまで言い切った安倍総理です。
それを「新しい判断」との一言で、公約を反故にする。これでは、政治家の信頼度か増すとはおもえません。
経済政策は、誰にでも満足が得られる政策というのは無いに等しいはずです。これだけ複雑に利害関係が入り組んでしまっている現在、政府の政策の恩恵を受ける人、受けない人がある。
アベノミクスは、当初トリクルダウンという言葉を使って、大企業にとって都合のいい政策だったと思う。金融緩和・財政出動・構造改革を進めて、経済の好循環を生むことを目論んだはずです。その手段としてトリクルダウンという言葉を使っていたはずだ。それが、経済の好循環が大事と言うだけになった。手段を誤ったということだろう。
確かに、株価は上がり、恩恵を受けた一部の人もいた。また、日銀の超低利政策で円安が進行し、海外取引のある大手企業はそれこそ濡れ手に粟で、莫大な不労所得を得た。当然、税収も上がったのは当たり前である。
しかし、GDPの約6割を占める、消費は一向に上向かない。それも当たり前で、円安が進めば、輸入物価が上がり、原材料のほとんどにその影響が出る。じわじわと物の値段が上がっている。庶民は生活防衛で、一円でも安いものを求める。どうやっても消費の数字は上がらない?
また、雇用が増えたと安倍総理。確かに有効求人は増えた。しかしそれは、医療/福祉・情報などある意味、自然増であろう。他に増えたのは、非雇用と人口減からくる正規雇用があったのかもしれない。こんな雇用形態で消費が増えるはずがない。庶民は多かれ少なかれ、将来に不安を持っている。あるコメンテーターは「あまりマイナス思考になるのは、かえって良くない」確かにそうだ。しかし、それを庶民に求めるのは、筋違いというものだ。経済政策、すなわち経世済民であるからして、それこそ、その不安を消す責任は政治を司っている政治家にある。
名のある経済学者さんは、「経済成長」が絶対に必要というが、果たして、どれくらいの成長カーブを頭に描いているのだろうか?物があふれている現在、何が成長をもたらすのであろう?もう一度足元から考え直す必要があるのではないか?
18世紀の哲学者であるカントの書に「永遠平和のために」というなかに、
「行動派を自称する政治家は、過ち犯して国民を絶望の淵に追いやっても、責任は転嫁する」とあります。(集英社発行 池内 紀訳より)是非、ご一読をお勧めします。