2020東京オリンピックに向けて、受動喫煙対策が国会で議論されているようです。
WHOから、日本の対策は「世界最低」水準の酷評されています。
愛煙家の主張は、「零細業者への配慮が必要」(赤松広隆)「嗜好品なんだから、愛煙家と禁煙家の双方の利益を守ることが大切」(野田毅)
一番、あれ~と唖然とする言い分は、野田佳彦の「たばこ増税は税制を通じたおやじ狩りみたいなもんだ」
どの意見にも、受動喫煙の危険に対する思いが全然伝わってこない。
今は、病院に「禁煙外来」科と言う診療科目もある。病院にこれがあるというこは、喫煙は病気ということになる。
シンガポールでは、建国当初から喫煙やゴミ捨てには厳しい規制・罰金がある。45年も前でも、ポイ捨てはS$500(当時の為替で日本円で6万円にもなる)理由は簡単、公共の場所では、お互いに我慢する、迷惑をかけない。これが徹底している。窮屈といえば窮屈だが、公共の利益を優先するとこうなるかなと納得したもんである。最近はたばこにも大変煩くなっているとのこと。
因みに、私は40歳まではヘビースモーカーでしたが、誕生日を境にそれ以降は一本も吸っていません。この歳までに禁煙すると肺が元の綺麗さを取り戻すことが出来るとか、当時の医者から聞いたことがありました。これが理由でした。元喫煙家としては、あまり偉そうなことは言えませんが、他人の健康に害を及ぼすたばこの煙はやはり排除しないといけませんでしょう。
2017年2月18日土曜日
2017年2月14日火曜日
日本語 SNS 罵詈雑言 仏教の教え 用語
【知っているようでようで、意外と知らない仏教】
「六波羅蜜」:京都に六波羅蜜寺というお寺もあります。平清盛ゆかりの地でもあります。では、六波羅蜜とは何だろう?単なる寺の名前としてはちょっと意味が不明です。
大乗仏教の中心思想は、「菩薩」(観音菩薩、普賢菩薩などなど)という理念と六波羅蜜の実践である。「出家」と「在家」を分けるのではなく、皆「菩薩であるといった方向への実践である。と言うことだそうです。難しいですね。
語源:波羅蜜=サンスクリット語;パーラム+イ+ター=向こう岸へ渡る、又は、パーラミ+タ=完成 の意の音訳ですから、ますます難しいのです。
六つある波羅蜜の一つ「持戒波羅蜜」:【五戒】不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・(不飲酒)、加えて不驥語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見とあります。戒を習慣化することで戒に自分が守られるということ、らしいです。全部で不飲酒を含めると11戒ありますが、これを「十善戒」と呼ぶそうです。ちょっと難しい言葉があります、この中で特筆したいのは、言葉に関する戒めが4つもあります。お釈迦様の教えは、如何に言葉が大切かを物語っていると思います。宗教ですから、当たり前と言えば当たり前です。
因みに、現在我々が日常使っている言葉の7~8割は仏教から成り立っているともいわれています。よく私は無宗教と言う人がいますが、知らず知らずに仏教の影響を受けているということだと思います。生活に仏教のこころがしっかり根付いているということです。
ヘイト スピーチなど、聞くに堪えない言葉がネット上に氾濫しています。困ったことです。これでは、自分の主張したいことが、正しく理解されないばかりか、憎悪は憎悪を呼ぶだけです。言葉の持つ重みを、もう一度かみしめて、多様性を認める世の中にしていくためにも、言葉は大切です。言葉の劣化は国の劣化でしょう。言葉を大切に。
「六波羅蜜」:京都に六波羅蜜寺というお寺もあります。平清盛ゆかりの地でもあります。では、六波羅蜜とは何だろう?単なる寺の名前としてはちょっと意味が不明です。
大乗仏教の中心思想は、「菩薩」(観音菩薩、普賢菩薩などなど)という理念と六波羅蜜の実践である。「出家」と「在家」を分けるのではなく、皆「菩薩であるといった方向への実践である。と言うことだそうです。難しいですね。
語源:波羅蜜=サンスクリット語;パーラム+イ+ター=向こう岸へ渡る、又は、パーラミ+タ=完成 の意の音訳ですから、ますます難しいのです。
六つある波羅蜜の一つ「持戒波羅蜜」:【五戒】不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・(不飲酒)、加えて不驥語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見とあります。戒を習慣化することで戒に自分が守られるということ、らしいです。全部で不飲酒を含めると11戒ありますが、これを「十善戒」と呼ぶそうです。ちょっと難しい言葉があります、この中で特筆したいのは、言葉に関する戒めが4つもあります。お釈迦様の教えは、如何に言葉が大切かを物語っていると思います。宗教ですから、当たり前と言えば当たり前です。
因みに、現在我々が日常使っている言葉の7~8割は仏教から成り立っているともいわれています。よく私は無宗教と言う人がいますが、知らず知らずに仏教の影響を受けているということだと思います。生活に仏教のこころがしっかり根付いているということです。
ヘイト スピーチなど、聞くに堪えない言葉がネット上に氾濫しています。困ったことです。これでは、自分の主張したいことが、正しく理解されないばかりか、憎悪は憎悪を呼ぶだけです。言葉の持つ重みを、もう一度かみしめて、多様性を認める世の中にしていくためにも、言葉は大切です。言葉の劣化は国の劣化でしょう。言葉を大切に。
2017年2月7日火曜日
文部科学省 不祥事 脱法 高橋是清 中央集権国家
「小中学校の施設経営監督は地方自治体に委せよ。大学への国庫補助金は必要かもしれぬ。だが学長選挙も内部行政も文部省の手を煩わせず大学に自治の精神を発揮させよ。官立大学の特典を廃止し私立大学と自由に競争させ学術の発達進歩を計れ。文部省は一国にとりて必ずしも必要欠くべからず機関にあらず。」 表題は 『文部省ヲ廃止スルコト』 だそうです。(朝日新聞「日曜に想う」欄から引用)
これは、百年前、なんと高橋是清の提言であるそうだ。高橋是清と言えば、国際金融政治家であり、大蔵大臣・総理大臣を務め、2.26事件の犠牲になったことでは、広く知られている。
この高橋是清が、自由主義がもたらす恩恵を信じ、官僚主義や軍国主義と闘った政党政治家であることは意外と知られていないのかも知れません。
このコラムは、次の様に結んでいます。
なぜ今この国において、科学でも文化でも体育でもなく、文教事務を国家が統括する「文部」を頭に冠した役所が存在する必然性があるのか。
責任を負うべきところで身をかわし、自由に任せるべきところで管理を持ち出し、特権を慎むべきところで守ろうとする。そうしたちぐはぐな行動様式を改めない限り、その必然性を感じさせることは難しい。百年たっても、「必要欠くべからざる機関」であることの挙証責任は他でもない、文部官僚たちにある。
これは、百年前、なんと高橋是清の提言であるそうだ。高橋是清と言えば、国際金融政治家であり、大蔵大臣・総理大臣を務め、2.26事件の犠牲になったことでは、広く知られている。
この高橋是清が、自由主義がもたらす恩恵を信じ、官僚主義や軍国主義と闘った政党政治家であることは意外と知られていないのかも知れません。
このコラムは、次の様に結んでいます。
なぜ今この国において、科学でも文化でも体育でもなく、文教事務を国家が統括する「文部」を頭に冠した役所が存在する必然性があるのか。
責任を負うべきところで身をかわし、自由に任せるべきところで管理を持ち出し、特権を慎むべきところで守ろうとする。そうしたちぐはぐな行動様式を改めない限り、その必然性を感じさせることは難しい。百年たっても、「必要欠くべからざる機関」であることの挙証責任は他でもない、文部官僚たちにある。
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